『なぜ移住されたのですか?』
この質問は一番多く頂きます。 その答えについてはブログの10話目『変わらないことの重要性』で書かせて頂いたのですが、 その質問の背景には理解しづらい行動への疑問が存在していると思っています。
経済合理性で考えれば、田舎より都会の方が便利な分だけ暮らしやすい。 だからといって田舎から都会へ移住するにもリスクはあるから、田舎に住み続けることにも経済合理性はあると。 そこへいくと都会から田舎への移住はリスクしかないわけだから、そこに強い疑問も生まれる。 つまりは経済合理性に従っているのか否か。またその理由は如何ほどか。そんな想いがあの質問には込められているのだと思います。
そのためか、もしかしたら僕のような都会からの移住者は経済合理性の外で暮らしていると思われてるのかもしれません。 でも、少なくとも僕はそうでもなく。そもそも経済合理性とは従うものでもなければ、反発するものでもありません。 場面場面で都合よく振る舞えばいいと思っています。そうしないと充たされない部分も生まれてしまうから。 つまりは経済合理性に従うだけでは充たされないもののために移住したのだと思います。
思えば、田舎暮らしの他にもそう思えるものはたくさんありました。 写真や車。料理もそう。経済合理性に従い、楽に簡単に、費用をかけずに、時間を使わずに。 そうした後に残るのは、使わなかったお金や時間だけではなく、本来は得られたはずの何かが欠乏した心身。 それを充たすために別件で動けば解決することなのかも知れませんが、それこそ経済合理性に欠ける動きだと思うのです。
ここら辺の話は伝わり難いものだと思っています。身体的に経験しないと分からないことも多いですし、固定観念にも捕らわれやすいから。 カウンター思考的な話だと誤解もされやすい。 ただ、移住系のメディアの記事は好きで、時間があれば読んでいるのですが、ここら辺の話を訴求ポイントにしている記事も多い印象です。 それだけ求めてる方は多いのかも知れません。
そのため、当農園の公式サイトで公開しているこのブログですが、そこら辺の話を意識しながら31話から50話までを書いてみました。
前回の編集後記『14~29話-編集後記』から2ヶ月半。 テーマはぼんやりと上記を気にしながらいろいろと試してみました。 その中でも、農園の取り組みの記事は予定していた通りに書けました。 『Vol.32 農園ロゴに託した想い』 『Vol.35 夏のイベント回顧録』 『Vol.41 クラウドファンディングの成果』の記事がそうです。
今後は作家活動も進めていくので、そのフラグとなる記事もいくつか書かせて頂きました。 『Vol.40 上を向いて歩けば』 『Vol.47 理の創痕』 『Vol.48 WEB3.0×クリエイターの可能性』の記事がそうです。
そして『Vol.49 震災回顧録』は、仙台に住んでいるときのことを書いた記事となっています。 この記事の元は、自分宛てに書いたもの。それを再編集して公開しました。 今後は、このスタイルでの記事も増やしていこうと思います。
というのも、もうすぐ春ということもあり、農作業は段々と忙しくなる予定。 そのため、このブログの更新も遅くなると思われます。 このブログの一番の目的でもある「農園の生存確認」のために、月2回以上の更新を目標に掲げていますが、もしかしたら更新が滞る恐れもあるので、 あまり時間の掛からない「自分宛てに書いた記事を再編集」という打ち手も用意しておきたい、ということです。
正直、このブログの運営は楽しくやらさせて頂いてます。それは過度に成果を求めてないからなので、時間を使う優先度も低いものになっています。 そんな運営しか出来ないブログですが、引き続きお付き合い頂けたら幸いと。
そんなことを思う今日この頃です。