椎茸は美しいキノコです。 より良い食材にこそ、その美しさは宿るもの。 必要な手間を、必要な時間を、必要な想いを、掛けた分だけ旨味は増し、美しさにも磨きがかかります。
その美しさは風景写真のそれと変わりません。 そんな想いを胸に、日々の暮らしの中で淡々と撮り続けています。 以前は被写体を求めて遠出を繰り返していました。 短期の転勤族という暮らしを選択したのもそのためです。 けれども、あるとき振り返ってみれば、良いと思える写真は遠出の必要ない被写体のものばかり。 考え直した結果、農家になることを決めた節もあります。
僕の写真は椎茸を被写体にしたものが多いです。 けれども、椎茸でしか表現できない写真ではありません。 僕が被写体にしたいのは世界の本質みたいなものが色濃く表れているもの。 それを焦点に据えた写真が、僕には良く見えるというわけです。
『世界の本質』と言われても、きっと堅苦しい感じが先行するかと思います。 僕もそう思うので、あまりこの話を対面ではしたことがありません。 けれども他に良い言葉が見つからないだけで、小難しい話ではないと。 むしろ単純すぎて伝わりづらい面もあると思っています。
写真には『Deadpan』と呼ばれるカテゴリーがありますが、僕はこれが好きで、 それを僕なりに突き詰めた結果が今の写真となっています。あくまでも「僕なりに」です。 僕の求める被写体をかっこよく英語で言い表せば『fluctuation』。 日本語で簡潔に言い表せば「ゆらぎ」ではなく『理(ことわり)の創痕』。 でも、その理屈を写真で伝えたいわけではありません。
その人なりに何かを感じられるものとして評価して頂けたらと思っています。 もちろん、何かの考えるきっかけになり得る写真だと思ってはいますが、それを望んではいません。 その理由も写真の理屈の中には含まれています。 とはいえ、そこら辺を察して頂けたら大変嬉しく思えるのですが、なんにせよ僕の写真を見て頂けるだけでも嬉しいのが本音。
そんなことを思う今日この頃です。