





十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。とはいえ、最近は胸を張って言えるほどの活動をしていない。はたして、僕はこの肩書を名乗っていいのだろうか。そんな思いも生まれるほどのことしか、実際はできていないのである。
そもそも、僕は広報のお仕事をしたかったのだろうか。農家時代に広報の真似ごとをしていたが、それは楽しかった。少なからずの結果にも喜んでいた。けれども、大変なこともあった。自分事だから責任を負えたが、雇われの身でそれを負いたいかと聞かれれば、即答はできない。結局、こうやって広報ではない私的な文章を作ったり、写真を撮っているだけで満足している。
それに「やりがい」はないかもしれないが、そこは休日の料理が補ってくれている。手際よく、けれども余裕を持って、ひじきの煮物なんてものを作っていると、何とも言えない気持ちが沸き起こる。これはきっと「やりがい」なんだろう。そう思っている。
とはいえ、そんな僕を会社は必要としてくれているようでありがたい。ただ、その中には、僕の苦手なことの頑張りも含まれている。どうしたものか。最近になって、そのギャップを深く考える時間が多くなってきた。スマホに流れてくる広告も、キャリアアップ系が増えた。なんだか後ろめたい。背徳感も覚えたのである。
とはいえ、仕事は止められない。先日もイベントの打ち合わせに参加した。僕の仕事は、お菓子を用意すること。六花亭の焼き菓子とチョコレートを3箱。頭を使うから、糖分を摂取できるものをチョイスした。準備は完璧だろう。フライヤーを作ることになったから、外部のデザイナーさんもやってくる。十勝では有名な人だ。街を車で走れば、デザインされた看板に会うことも多い。実のところ、僕も農家時代に問い合わせをしたことがある。でも、予算が合わなかったからお世話になることはなかった。だから、実際に会うのは気まずい。でも大丈夫。黙っていれば分からないだろう。相手は人気のデザイナーさんだ。3年も前のメールのやり取りなんて覚えてはいないはずである。
プロのデザイナーさんによるヒアリング。とても勉強になる、もとい面白かった。すべてのヒアリングには、デザインへ繋がる強い意味があるはず。そう思って、裏を読んでいたが、ほとんど分からなかった。けれども、提示されたデザイン案を聞くと、そこには僕の中にも高揚感がしっかりあった。偶然ではないと思う。もちろん、デザイン力が凄い人なのだが、それ以上に高いヒアリング力も人気の由縁なのであろう。僕にはできない。すこしはあやかりたいのである。
そんなことを考えていたら、僕にも仕事が回ってきた。フライヤーに使う写真とコピー案の作成。軽く二つ返事。役割の少ない僕にとっては、ありがたいことだった。特に大変なこともないだろう。そのためか、すこしのいたずら心が疼いた。
コピーは3パターン用意した。写真はモノクロとカラーのパターンを作って20枚ほど。その中に中判フィルムで撮ったものを1枚だけ忍ばせておいた。クセが強いから選ばれることはないと思うが、選ばれたときのことを考えると高揚感を覚える。AIが台頭する時代に中判フィルムの写真って。どのような結果になるのだろうか。誰よりもフライヤーの完成が楽しみになった。やはり広報活動は楽しいのだろうか。まだフライヤーは完成していないが、たしかに「やりがい」を感じている僕もいるようだ。