





十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。今の会社へは、離農してからの就職。すでに1年以上が経過した。そのためか、ここにきて、気持ちにも金銭的にも余裕が生まれてきた。写真のための遠出も多くなった。先日は、朝早くから富良野を目指していた。
目当ては、トラクター。きっと、エンジン部分に惹かれるだろう。古い機体が集められた博物館は、僕にとっては、心躍る撮影スポットに思えた。けれども、せっかくだから、その先の美瑛にも足を運んでみた。
頻繁に通っていたわけではないが、何度も訪れた場所。新鮮さよりも、懐かしさが勝っていた。けれども、真新しく変わったと思うこともあった。気のせいか、あの丘のツリーは痩せ細って見えた。単なる思い出補正だと思うが、あまり心は躍らなかったのである。
それでも人は多い。早朝にも関わらずだ。写真を撮るのも億劫になる。場所によっては、車から降りることもためらった。けれども、人が少ない場所もあった。そこは、以前には無かった気がする。景色はいい。写真も撮りやすい。なぜか筋トレセットも置いてあった。満足度は高い。美瑛を訪れたという実感がこみ上がる。けれども、たまたまかもしれないが、人は少なかった。
どこで聞いたか忘れたが、人は、いいところへ行きたいわけではないらしい。人は、行きたいところへ行きたいのだと。トンチのようだが、意味は理解しているつもりだ。人は、皆が行きたいところへ行きたくなる。皆が行ったところへ行きたくなるのだろう。
これについては、悪いことでもなければ、損をしているとも思わない。人の習性のようなものと思っている。僕だってそうだ。写真が好きだから、撮影スポットに関しては、皆が行ったところではなく、自分の行きたいところへ行きたい。けれども、例えば映画やドラマ。それに対しての、僕の関心は低い。それゆえに、あまり世間には知られていないが、実は名作で知る人ぞ知る作品よりも、その瞬間に流行っている、多くの人が見た作品を、僕は見たい。いろいろと理由は付けられるが、本質的には僕の中の無意識がそうさせていると思っている。
逆をいえば、僕の行きたいところに、人が少ないことは珍しくない。別の日も、そんなところを目指して車を走らせていた。そこは、国道から徒歩ですこし入った場所。駐車場はあるが、それは路側帯が広くなっただけの簡易的なもので、車は10台も停まれない。人よりも羆に出会う確率の方が高そうな場所だった。
大丈夫。準備はバッチリだ。熊鈴を買っておいた。すでにカメラ鞄に着けてある。熊スプレーも買った。値段が高かったが、ここはケチるところではないだろう。10mくらい先まで噴射が届くものを選んだ。さすがに試し打ちはできないが、安全ピンを抜いて噴射レバーに指をかけるところまでのシミュレーションは行った。羆に出会ったときから撃退までのイメージも作れた。加えて、お盆休み中に行くことにした。もしかしたら、人がいるかもしれない。僕の中の恐怖も、幾分かは縮んだのである。
僕の想像は外れていた。人が多い。駐車場も満車で、空きができるのをすこし待った。やはり、お盆休みは、人でにぎわう。僕の目当てはミズナラの巨木。けれども、そこで足を止める人は少なかった。なぜなら、その先の展望台から見える石の橋梁が人を集めていたからだ。
写真が撮りづらい。行きかう人が途切れないからだ。タイミングを見計らって撮るが、あまり上手くいかない。そわそわしてしまう。レンズは75mm。被写体との距離がほしい。通路で撮りたかった。けれども無理。ダメ元で撮っておいたが、あとで確認したら、しっかりとダメであった。
複雑な気持ちだった。ミズナラの巨木はすごいのに。「おおきいね!」。そんな声も聞こえてきたが、多くの人にとっては、足を止めるほどのことではなかったようだ。とはいえ、巨木が橋梁よりも劣っているわけではないと思う。違うのは、推し方なのだろう。
僕は、橋梁よりも巨木派だ。けれども、橋梁よりも人気になってほしいと、あまり強くは思わない。巨木派が増えてほしいとは思うが、今のバランスが崩れてしまうことにも、すくなからず抵抗を感じる。どうしたものか。とりあえず、閑散期に、もういちど、ミズナラの巨木に会いに行こうと思う。