





十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。とある施設の運営も任されていて、どちらかというと、そちらが本業務。それがここにきて忙しくなった。そして、施設の中での作業の様子を収めた動画も溜まっていく。この編集作業も僕の仕事のうちなのだが、当初の想像以上に時間を使ってしまう。それゆえに、デスクワークが増えた。
そこでは、眠気と戦っている。幸か不幸か、周りに人はいない。さぼろうと思えば、いくらでもさぼれてしまう。つまるところ、仕事人としての倫理とも戦っている。カフェインを多めに摂りながら、まあまあの音量で曲を流している。椅子への座り方も行儀が悪い。だが、一番効率がいい。ベストパフォーマンスを生み出している。難点があるとすれば、僕のこの姿を誰にも見せられないことだ。「8時間戦えますか?」。ときおり、昭和のCMで有名なフレーズに似たワードが脳裏をよぎる。今日も、明日も、明後日も。合計すれば24時間。望むところだ。僕もジャパニーズ・ビジネスマン。ここでも、僕の敵は僕なのである。
もしかしたら、最近になって目が悪くなったのは、この動画編集のせいなのかもしれない。車の運転では自主的に眼鏡をかけているが、再検査をすれば必ず必須になるだろう。スマホや本の文字も読みにくくなった。カメラのファインダーもそう。ピント合わせが難しくなった。拡大機能には前からお世話になっていたが、1段階しか使っておらず、けれども、最近は2段階目までお世話になっている。
これは動画編集の功罪ではなく、老いなのだろうか。そう思い当たる節は他にもある。これもカメラに関することなのだが、手ブレが酷い。以前は標準レンズでも、SS1/15くらいは大丈夫であった。けれども、今はSS1/30でも不安。補正があるにも関わらずだ。それでも、ISOを上げればいい。それに比べれば、体のブレは厄介。ピントがずれる。これも立ち方の工夫で今のところは解決しているが、悪化したらどうなるか分からない。一脚や三脚の出番が増えるかもしれないということだ。
これはもう仕方ない。とはいえ、仮に今の撮影スタイルが崩れても、写真を辞めることはないと思っている。さすがに致命的な不自由が生まれれば続けられないと思うが、そうでもない限りは、スタイルを変えながら続けると思う。やはり、「僕の思う最高の一枚」は拝みたいからだ。けっして、人生を謳歌してやろうとは思っていない。けれども、そう思う日は来るのかもしれない。世の中にはそう思っている人が多い。平凡な僕もそう思う可能性は高いだろう。
僕は写真が好きだ。けれども、それが絶対ではないと思っている。何かに囚われている可能性もあるからだ。承認欲求もあるし、収益化への欲もある。もしかしたら、知らず知らずのうちに、そっちを求めてるときに分泌されるドーパミンが、僕をそう思わせているのかもしれない。過去にそうだったこともある。それを否定はしないが、僕の中での「好き」とは違っていた。そのときは「好き」と思っていたが、長くは続かなかった。周りもそうだった。ブームと言えるほどの熱狂も、すぐに冷めた。
そのときの経験が僕を悩ませる。もしかしたら、老いに抗うための行動が、僕にそう思わせているのかもしれないからだ。そうはありたくない。何となくだが、それでは「僕の思う最高の一枚」にはたどり着けないと思っている。故に、他のことならそれもいいと思えるが、写真だけはそうあってほしくないと思うわけだ。
けれども、大丈夫。僕はそれを確かめる方法を知っている。「たとえ明日、世界が滅びるとしても、僕は今日、写真を撮る」。そう言えることが、僕のありたい好きなもの。そうであるならば、今のところ僕の写真は僕の好きなものと言えそうだ。それならばと、サイトを再構築した。僕が気持ちよく閲覧できればいい。徘徊方法の説明は省いた。デザインは何でもよかったから、某SNSのそれをオマージュ。スキルの無駄遣い的なサイトになった。ハートの横の数字は、写真の通し番号にした。おかげで、誰も見ていないのに、2,000程の人気があるように見える。我ながら痛々しいが、それもどうでもいい。この数字は、今後も増えていくだろう。そのことがすこし嬉しかった。
「暮らしに余白を」。ここ数年の間に、この言葉も少数派だけが口にするものではなくなったのかもしれない。急ぎ過ぎず、その過程や脱線から生まれる小さな幸せを大切にする暮らしもいい。僕はそう解釈している。けれども、それは時間軸に対して直角方向に展開する余白。それに対して、僕は将来にも余白を展開させたい。時間軸に対して水平方向に展開する余白だ。とはいえ、将来は決まっていない。真っさらで真っしろだ。けれども、ここで言う余白とは、すこし違うと思っている。そこは真っさらすぎて、余白すら感じられないのではなかろうか。きっと、枠が必要なのだと思う。その空の枠から感じられる可能性が、将来の余白だと思う。
僕のサイトは無限に写真を載せられる。そこに感じる居心地の良さは、暮らしの余白から来るものによく似ている。作ってよかった。ついでに、このnoteの文章もサイトの方へ移してみようと思う。