





十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。先日の十勝は、暖かさを超えて暑かった。季節はGW明け。気がつけば、敷地の隅の残雪も消えている。代わりに、タンポポが満開だ。いい景色だが、すべてが綿毛になれば厄介。草刈りの予定も考えなくてはならない。けれども、この日の僕は畑に呼ばれていた。そのため、数日後にはなってしまうが、今年の草刈りも、もうすぐはじまると思う。
あいかわらず、デスクワークからは離れている。けれども、心は寄り添っているつもりだ。流行りにも無視はしていない。Substack。アカウントを適当に作って様子をみてみた。いつもと同じ景色がそこにはあった。初期プラットフォームの空気感。これから何かがはじまりそう。攻略法も飛び交う。まずはフォロワーを増やして。見た目はTwitterと似ているが、同じ運用方法ではダメだと。エッセイとの相性がいいらしい。そんな投稿が並ぶあたりが、初期プラットフォームの空気感と思う所以である。
とはいえ、Substackは生まれたばかりのSNSではない。日本では、最近になって盛り上がりを見せているが、海外では以前から存在しているプラットフォーム。文化もすでに存在しているようだ。AIにも、そこら辺のことを聞いてみた。どちらかというと、クリエイターの思想や世界観を記した長文が好まれる文化だそう。完成された理屈よりも、仮説や現在進行形の検証が歓迎されているとか。故に、ストック型のSNSと思っておけばいいらしい。
ためしに、海外の写真作家さんをフォローしてみた。たしかに、Twitterのそれとは違う印象。どちらかというとnoteに近いと感じた。タイムラインが実装されれば、そうなるのかもしれない。たしかに僕はそう感じた。
SNSの空気感は、その人の使い方によって、感じ方も変わってくると思う。「noteは役立つ記事が多い」と、そう語ってる人がいた。けれども、僕の中のnoteは、エッセイが中心である。真実はわからない。だが、比率などの数字を見たところで、意味はないだろう。きっと、noteの中でも分断が起きているからだ。「人は物事を見たいように見る」と言われているが、SNSの空気感なども該当するのであろう。
おそらく、「古き良きインターネット」の文脈で語られるプラットフォームも、個人で様々な見解があると思う。Substackのそれは、初期のTwitterの良さがあると語られる場面に多く出くわす。たしかにそうかもしれない。けれども、僕の「古き良きインターネット」は2ちゃんねるだ。書き込みはせずに眺めていただけだが、それまでにはなかった空気感を楽しんでいたと思う。匿名だからこそ、無責任なことを書くのではなく、匿名だからこそ、立場や損得を抜きにして語れることもあったと。なにより、「オマエモナー」という言葉が、いつでも発射可能なことで醸し出される空気感が好きだった。
はてさて、今後の僕は、Substackに重みを置くのだろうか。とりあえず、スマホ画面の2ページ目に、アイコンは置いておく。今までの流れだと、半年後にはアンインストール対象になっているだろう。今回はどうなるのであろうか。もしかしたら、Substackに文章を投稿しているかもしれない。そう、僕がどこかに文章を投稿することだけは、きっと変わらないと思う。