plus
67photo
hert
head
タモツの日記
ex
point
hert
280
comment
6
return
7
fly
N
book
#280 寂しげなヤドリギ

十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。通勤手段は車。片道1時間のドライブも、慣れてはきたが、景色に飽きることはまだ先のよう。さすがに驚きはなくなったが、代わりに居心地の良さを感じている。一瞬の高揚よりも、持続する充実。十勝の観光が上手くいかない理由と、それでも憧れを集める理由は、ここにあるのかもしれない。

季節は春の雪解けの頃。十勝が一番に美しくない時期だと思っている。土まみれの残雪と、色の抜けた植物たち。道路わきの落葉松は、緑の葉を付けることなく、いまだに枯木のよう。落葉しない椴松も、針葉が緑とは認識しづらい理由が気になる。もちろん、広葉樹の白樺も葉はなく、風が吹けば、おそらく幹同士が擦れて、動物の鳴き声のような音を奏でているのだろう。

あいかわらず道路わきで元気なのは、ハルニレの木。空間を支配したいのか、触手のような葉のない枝は、曇り空をバックにして、その存在感を誇張している。巨木であり、伐れば銘木なのだが、あまりにも存在が自然すぎるから、その珍しさに気づいていない地元民も多いと思う。

一方で、ヤドリギに蝕まれている木は、どこか淋しげだ。おそらく、勘違いしている者も多いだろう。「鳥に愛されて、たくさんの巣を抱えている木」だと。僕もそう思っていた。けれども、実際は「蝕まれている」と捉えることが自然だと思う。

ヤドリギは、他の木の枝に寄生する木だ。鳥の巣ではない。「杉玉」のようにも見えるが、それも違う。漢字で書けば「宿り木」。冬でも葉は落ちない。寄生している木から、必要な水を吸い上げているから可能なのだろう。そのため、「常緑広葉樹」という肩書も携えている。寄生されている木はしんどいと思う。冬は地面から水を十分に吸い上げていないにも関わらず、ヤドリギには水を吸い取られているからだ。

加えて、ヤドリギの繁茂方法が、寄生している木をさらに苦しめている。鳥に実を食べてもらい、その鳥の糞から発芽するからだ。鳥は移動するから、様々な場所で発芽すると思われる。けれども、実際は同じ木で発芽することが多いみたいだ。おそらく、あまり鳥は移動しないのだろう。

考えてみれば、わざわざ他の場所で糞をする意味はない。鳥は空を飛ぶ。体を軽くするために、排泄は早いと聞いたことがある。結果的に、ヤドリギは密集する。都会の一極集中と同じだ。だからだろうか、ヤドリギからは賑やかさと疲弊を同時に感じ、なぜか寂しさも感じたというわけだ。

それにしても、いつのまにか、僕の雑学は増えていたみたいだ。十勝の景色を眺める視点も増えていたと思う。こんなこともあるから、新しいことに飛び込むことは止められない。

home
move
fly
zoom
plus
foot