plus
67photo
hert
head
タモツの日記
ex
point
hert
278
comment
6
return
7
fly
N
book
#278 雪の結晶が否定するもの

十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。 家から仕事場までは、およそ50km。かなりの距離だが、ここは北海道の十勝。1時間くらいで通勤は終わる。直線が多く、信号も少ないからだ。景色を見ながら何かを考えていれば、すぐに終わるのである。

けれども、それは雪の無い季節に限る。春・夏・秋は快適だ。厳密に言えば、厳冬期も快適。北海道でも十勝の雪は少ない。札幌が大雪のとき、こちらは晴れている。僕の生まれ育った関東のようだ。違うと言えば、冬のはじまりと、おわりは雪が降りやすい。おまけに気温が中途半端に高く路面は滑りやすい。通勤も快適とは言えないのだ。

けれども、シーズンはじめの雪には、未だわくわくしてしまう。大変なのにだ。十勝で暮らしはじめて10年が経とうとしているが、その思いは当初と変わらない。むしろ、離農して雪のリスクが減ったから、思いは強くなっているのかもしれない。シーズン終わりの雪もそう。うんざりしている者も多いが、久しぶりの雪に僕の心は踊っていたりもする。

何がそんなに嬉しいのだろう。写真を撮れることもあると思う。だが、やはり非日常な景色が広がるからだろう。余計なものを隠した景色はいい。ふわふわと落ちてきた雪に、結晶を見つければ、なんだか幸せな気分にもなる。規則正しい六角形には、気持ちを落ち着かせる魔力が宿っていると思う。

けれども、よくよく考えてみると不思議だ。そこには高い秩序がある。それゆえに、壊れやすい。自然な流れだ。その源流はどこにあるのだろう。そこでは秩序が作られているはずだ。自然な流れと逆行している。その意味では、僕ら生命体と同じなのである。

この問いの答えは単純だ。太陽から届く熱がそうさせている。そして、太陽の熱も、自然な流れの中で副産物的に生まれている。つまりは、高い秩序が生まれてくる流れもまた、自然な流れの中の一部。雪の結晶はもちろんのこと、僕ら生命体も自然の流れの中にいる。決して、特別な存在ではないのであろう。

人は人が絶望するほどシンプルな存在だと思う。僕らは中心にいない。生命圏が存続するための駒だ。ときには数の暴力で危機を乗り越える。常に新しい駒へと循環させることで、一個体が受け持つリスクも軽減されている。さらに個々が多様な形態をとることで、全滅の危機も相当に回避できるだろう。この状態を維持させるために、争いが起こるほどの正当性を持たされている。でも大丈夫だ。そこで生まれる全滅の危機も、多様な形態で得られる回避能力の方が上なのだろう。ほんとうによくできている。

だとすれば、争いで中指を立てるべき相手は、目の前の敵ではなく、背後の味方でもない。90°横にある無機質な仕組みがその対象だと思う。だが、そのリスクにも対応されている。多様な形態が僕らのそれを邪魔するだろう。

多様性とは守るべきものなのだろうか。そこを考えるためには、まずは惑わる仮説の統一が必要なのかもしれない。過去に何度も試されてきたが、諦めては何か大切なものを失う気がする。おそらく、今のAIには難しいと思う。あの人は、人以上に人らしいからだ。

home
move
fly
zoom
plus
foot