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タモツの日記
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#274 それは「Fluctuation」

十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。故に業務として写真を撮ることは、多くはないが、少なくもない。僕は写真が好きだ。故に、恵まれた環境とも思えるが、実際はあまり興味のない被写体にも向き合わなければならないので、それはそれで別のおもしろさはあるが、手放しで喜べる環境ではなかったりもする。

一方で、僕はとある施設の運営も任されている。作業員としてだけではなく、広報的な活動も含めてだ。しかもひとりで。故にもらっている裁量権も高い。発信している現場の写真も、かなり僕好みなものに傾いているが、それも良しとしている。

だが、僕の好みに振り切った写真も、ついでに撮っている。その写真の量も多くなってきた。僕と被写体との距離も近づいたと思う。撮り方も分かってきた。

僕は、この写真群を作品として、そのうち発表しようと考えている。僕の写真は、表現方法の模索の結果だ。故に、届けたいメッセージを載せたものではない。作品のステートメントは、表現方法の理屈になるだろう。そこはAIに補助してもらい、完成させた。

だが、そのステートメントには恥じらいを覚えている。嘘は書いていない。お堅く、知的で、隙のない、ハイコンテクストな文体だ。AI曰く、それが向こうの業界スタンダード。英語にしたから平穏でいられるが、日本語で載せられないのである。一体何に恥じらいを感じているのか。内容には自信を持てている。けれども、ちゃんと伝わることに対しては自信がない。誤読すらされないであろう。よくてスピリチュアル的な風に捉えられると思う。何言ってるのか分からない電波系な話と思われるのではないかと。そんなちっぽけなプライドが、僕に恥じらいを覚えさせるのであろう。

この課題には、何年も対峙してきた。このnoteでも、何回語ってきたか分からない。そのための文章力強化でもあるアカウントだ。その都度、解決策を試行してみたが、結局、今になっても同じ課題に対面している。振り切ってもダメ。分からない人を無視しても意味はなかった。諦めてみても、諦めきれなかった。とはいえ、折り合いをつけてもダメだろう。中途半端で、解決には至らない。どうしたものか。やはり、とことん正攻法で頑張るしかないのかもしれない。

『僕の写真は、撮影者である僕を含めた閲覧者の視点を変えることで成り立つ。視点を変えることで、被写体を美しいと思えるからだ。つまり、美しいというステータスが被写体に紐づいているわけではない。そう仮定すれば、閲覧者の視点を変えることで、万物を美しい被写体に変えることができると考えられる。そして、その視点の変化量が大きいほど、美しいと思える可能性は高くなるはずだ。ならば、人が当然と考えているものの見方を、別の角度から解釈することが有効であろう。誰もが中心と信じているものを外して考えてみる。その視点で眺める世界は美しい。僕の写真は、その美しさを利用して作られている。当初は、美しさが紐づいた被写体を探していた。僕の写真の第1フェーズと言ってもいいだろう。主な被写体は日本の風景であった。けれども、第2フェーズでは視点を変えることで被写体を美しいものへと変えた。ここでの被写体は椎茸である。そして今、第3フェーズではその再現性を別の被写体で確かめようとしている。被写体は樹皮だ。視点を変えた僕から見たら、それは「Fluctuation」なのである。』

どうだろう。まだ少し堅いであろうか。知的なものと思われて興味が湧かないかもしれない。かなりの説明を省いたから隙は多いと思う。これをベースに敬体へ直してステートメントとしてみることにした。

それにしても、僕は一体何と戦っているのか。『僕の思う最高の一枚』を追求するだけで楽しかったのではないか。それは嘘だったのか。でも、いろいろと考えて動くことは楽しい。なんにせよ、僕の写真は止まらないのである。

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