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タモツの日記
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#268 インフレーション・チャーシュー麺

十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。前職は農家で、離農してからは、未だ1年も経っていない。あの頃は、休日も仕事があり、デスクワークもあったから、嫌になるほどの忙しさはなかったものの、四六時中、頭は仕事から離れることはなかった。その頃と比べると、今の休日は暇。チャーシューでも作ってみようかと、そんな気も起こるのである。

帯広の店で豚バラのブロック肉を買ってきた。大きい。大き過ぎて、生体だった頃の面影も垣間見れる。複雑な心境だ。タコ糸で縛るのは、はじめてかもしれない。方法はYouTubeで勉強した。今回の料理で最難関と思っていた「タコ糸縛り」だが、問題なく一発で綺麗にできて、ちょっと天狗になりそう。縛られた豚バラ肉。赤ちゃんの二の腕を思い出したのだった。

ここまでくれば、あとは簡単。フライパンで表面を焼き、圧力鍋で煮る。味付けは、砂糖と醤油にみりん。ねぎと生姜、ニンニクも一緒に入れた。そして放置。次の日には、立派なチャーシュー麺にありつけたのである。

家で作るラーメンは安い。生麺とタレは格安で販売されている。一杯は100円以下だ。だが、市販の具材をトッピングすると割高になる。それでも、お店よりは安い。とはいえ、味はいい。下手な店よりも美味しいと思っている。昔、子供の頃に家で食べていたラーメンは、インスタントの袋麺であったが、酷く飽きていた。それと比べれば、今の僕の作るラーメンは別物で、安い・早い・美味いの三拍子がそろった、都合のいい家のレギュラーメニューだったりするのである。

とはいえ、この日のチャーシュー麺は割高だ。僕の中でのチャーシュー麺は、チャーシューの枚数が3枚以上と決まっている。加えて、塊のチャーシューを薄くスライスさせる技術は持ち合わせていない。5mmが限界だ。さらに煮卵もトッピングされている。チャーシューと一緒に漬け込んだから、美味しいに決まっている。そして、たっぷりのもやしも欠かせない。原価計算をしたら、店のラーメンの価格に迫っている。もし、これを原価の33%だとしたら、希望小売価格はかなりの高額になるだろう。そう考えれば、僕の作ったチャーシュー麺は、割高だが、割安なのである。

これも、物価のインフレーションによる影響なのであろうか。自作のチャーシュー麺も、素直に割安とは思えない。おそらく、チャーシュー麺の価値は変わってないのに。そう、昨今は何かと物価高と言われているが、物の価値は変わっていない。変わったのはお金との相対価値であって、物そのものの価値は変わっていないのだ。チャーシュー麺の価格は上昇したが、だからといって、さらに美味しくなったわけではない。つまりは、物の価値が上がったのではなく、お金の価値が下がっただけなのである。

おそらく、僕の賃金の額も上がるだろう。けれども、頂ける価値は変わらない。いや、その度合いは分からないのである。もしかしたら、下がったお金の価値の差額以上の賃金上昇はあるのかもしれない。その逆もまた然りだ。けれども、その真相は分からない。あるのは、賃金の上昇による喜び。貯金の利率もそうだ。冷静に考えると、踊らされているだけかもしれないが、そこを問うのは野暮だろう。分かった上で喜ぶことが粋ってものだ。結果的に、それで景気は上向くのであろう。そこに水を差すことは、けしからんのである。

お金のインフレーションには、もう一つのメリットがあると思っている。「使わないと損」というマインドが生まれるのだ。お金の欠点を一つ挙げるとしたら、それは保存が利いてしまうことであろう。他者との物々交換が、途中で長々と止まってしまうのである。お金を頂いた側は、そのお金を何かと交換することで、はじめて物々交換が完了する。物々交換をしない世界は、独りで生きていく世界。その世界の成長は遅い。分業が一切ない世界だからだ。それは極端な話だが、物々交換が完了しないということは、そのような世界に近づくということだと思っている。

そこで効いてくる、お金のインフレーションから生まれる「使わないと損」というマインド。時間とともに、その価値が自然に減るからだ。過度な貯金や節約思考も、損と思える時代が来たのかもしれない。理想的なお金のインフレーションは年に2%と言われている。きっと、賃金の上昇による喜びと、「使わないと損」というマインド、加えて、急激なインフレーションによるお金に対する失望感、この3つのいいバランスが、この2%という数字に表れているのだろう。

けれども、忘れない方がいいのは、家で作るチャーシュー麺は、楽しくて美味いことだろう。おそらく、その価値は、ずっと変わっていない。あくまでも、変わったのはお金との交換レートだけだ。物の評価軸は、価格だけではない。価格という評価軸に引っ張られると、いろいろと見えなくなってしまう。それは、とても不幸なことなのかもしれない。

とはいえ、いわゆる「お金じゃない」という発想とも違うと思う。自分の中に、絶対評価をするための評価軸を作ることでもないだろう。大切なのは、3次元的に評価点を無数に持ち、それぞれからの相対的な評価距離から、その物の絶対的な位置を推測することだと思う。それが正しいのではなく楽しい。何にせよ、僕の作るチャーシュー麺は、これからも変わらずに美味しく変わり続けるのであろう。

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