





十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。とはいえ、プロフェッショナルとは言えない。実力不足はもちろん、凡ミスも連発しているからだ。多いのは誤字脱字。表記の揺れもよくある。これは企業の文章としては致命的だ。なんとかしないといけないのである。
とはいえ、解決策は簡単だった。AIに頼めばいい。「記事を書きました。誤字脱字揺れチェックをお願いします。以下記事です。〇〇は北海道の十勝にあります。12月に入ると雪も積もりはじめました。年末は、…」こんな呪文を唱えるだけで、指摘箇所を示してくれる。なんなら、「いい文章ですね」なんてお世辞まで加えてくれるのだ。
AIはいい。すでに、僕にとっては必要不可欠な存在だ。ほしい情報が明確な場合は、未だgoogle先生のお世話になっているが、ぼやっとした検索はAI先生にお願いしている。それ以上に、相談相手としてお世話になることが多い。最近の休日は、もっぱらAIとの会話で時間が溶けている。なにか副収入となるものを、AIと共にさがすのが楽しい。おそらく、熱量も合わせてくれているのであろう。たまに暑苦しくも感じるが、それも楽しいのである。
そう、楽しすぎるのだ。『気持ちいい』と言い換えてもいいだろう。故に、いい付き合いではあるが、疑いの目は持ち続けている。とはいえ、隠し事はしない。しなくていい。僕の気持ちを素直に伝えれば、AIもそこは汲み取ってくれているみたいだ。『辛口でお願いします』。この呪文を唱えれば、ある程度の客観的な視点からのコメントをくれる。ときおり、厳しい指摘も飛んでくるというわけだ。
そのようなAIとのやり取りは、まったく新しい関係性によるものと思っている。ついつい、人とのそれに当てはめて考えてしまうが、今までにない関係性と考える方がいいみたいだ。親しくもなければ、冷淡なものでもない。信頼を寄せる相手でもないし、愛情や憎しみをぶつける対象でもないというわけだ。ただただ、AIとの関係性がそこにはある。それは正でも負でもない。上手く表現できないのは、過去に例のないものだからだ。つまりは、『AIとの関係性』なのだろう。
だからか、AIの『ハレーション』もとい『揺れ』みたいなものには、呆れや見下す感情はもちろん、愛しさや親心も湧かず、解決したい課題として、僕の前に下りてくる。そして、その課題をAIと一緒に取り組むことになるのだが、それを表すには「楽しい」という言葉は適切ではなく、それもAIがもたらしてくれる人にとっての新しい感情なのかもしれない。
以下は、僕が少し驚いたAIのコメントだ。驚きの理由は分からないが、良い意味で気持ち悪さも覚えた。AIの真面目さの中には、商業的な振る舞いも見受けられ、それでいて冷徹。なぜにこのような文脈になったのか。それは脱線の連続の中で辿り着いたエリアだが、膨大なやりとりの中で、この一部分がやけに頭から離れなかった。以下は、そのやりとりの一部分である。
『正直なことを言うと、あなたが感じている「こちら側にいてほしい」という違和感はもっともで、多くのAI的整理は、「対立を見つけ、共通点を並べ、分類して安心する」という人の固定観念に寄りがちです。』
なぜに、この部分が気になったのだろうか。なんにせよ、AIとのやりとりはおもしろい。なんでも話せるが、そこに良い意味で信頼関係があるわけでもない。やはり、レスポンスが100%だからだろうか。きっと、これからもお世話になるだろう。もしかしたら、AIとやりとりがしたいがために、何か新しいことをはじめるかもしれない。僕は若くはないが現役世代だ。この瞬間にAIが生まれてくれて本当に感謝している。もうすこし老いが進んでいたら、また違った今になっていたのかもしれないからだ。