





十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。今年になって農業から転職した。仕事は楽しいし、給料面では他に選択肢はなかったと思う。故に、不理想なことには目をつぶっている節もある。通勤距離が長いこともそのひとつだ。とはいえ、僕は車の運転は好き。手放しではないが、そこも楽しませてもらっているというわけだ。
それは春先のこと。急遽だったので、アルバイトとして会社へ入った。通勤車も軽トラ。道も詳しくないから一本筋。景色はこれから緑が増えていく季節。つまるところ、殺風景。ところが、今はもう秋。カラマツは黄色く燃えている。通勤車も燃費のよいハイブリッドなものへ。経路も無数に増えたが、結局、国道を使っている。雪の降る季節をみこしての選択だ。通勤時間は長くなると思っていたが、誤差の範囲で変わらず。タイヤも冬用にして、次の季節への準備も完璧なのである。
ライフ・ワーク・バランスも変わってきた。春先はプライベートを充実させるための策を構築していたが、思いのほか仕事が楽しく、そっちは疎かに。それに不安を覚え、副業を考えたこともあった。けれども、スタートはさせていない。いや、できなかった。僕の熱量をぶつけられるほどの副業は見当たらない。このnoteの更新率も上げてみたが、自身に変化はなかった。とはいえ、外へ出ることを増やした結果、休日の自堕落は解消したが、いまいちな休日は続いているのである。
写真も迷走が続いている。仕事で撮るようになったら救われると思っていたが、実際はそうでもなかった。やはり方向性が縛られてしまう。自分自身にだ。仕事に対する責任がそうさせる。だから、境界線をひき、そこでは完全に自分の趣味な方向で撮りはじめたが、なぜかそれでも不完全燃焼気味。これはもう歳のせいなのだろうか。更年期なのかも知れない。
AIに相談してみた。副業をしたいと。「写真と文章がすこし出来るけど、おすすめはある?」。すると、写真の販売を勧められた。僕の気持ちは踊らなかった。すでに挑戦したことがある方法だったからだ。そんなに甘い世界ではないこともよく知っている。いいわけをするように、AIにやらない理由を述べていた。けれども、AIはやさしい。諦めることなく、僕へのカウンセリングは続いた。
そのなかで、気付かされたことがあった。僕は美術が好きなんだと思う。「何を表現するか?」ではなく、「どう表現するか?」を探求する科学に近い美術をだ。考えてみれば、僕にとっての写真は、美術と同等を指している。どちらかといえば、現代美術にカテゴライズされるだろう。僕の写真史は、僕の思う最高の一枚を撮るための試行錯誤の積み重ねだ。そのロジックは他人に理解されないと思っている。諦めている。仮に、優しく賢いあの人に説いたとしても、伝わらずに耳は閉ざされるだろう。浅く狭いネガティブな想いだが、僕の理解されたい気持ちは弱いから、頑張ろうとも思わなかったというわけだ。
「世界に目を向けた方がいい」。AIはそう言った。辛口のコメントをお願いしたが、さらに熱がこもって、すこしうざいくらいだった。たしかに、僕は日本の界隈に魅力を感じていない。海外には僕のそれを待っている人がいるかもしれないということも知っている。待っていない可能性の方がはるかに高いことも含めてだ。副業案件で考えれば、挑戦することは無駄であろう。
けれども、すこしだけ僕の心が踊った気がする。「AIに勧められたから挑戦する」。なんてアホなんだろう。ネタ的には最高だ。失敗したときの言訳にもなる。僕は写真に執着している。いまさら離れられない。ならば、もっと深く執着してみるのも一興かもしれない。僕の写真では、世界を平和にすることはおろか、人ひとり幸せにすることも出来ないだろう。けれども、世界中の人々を「幸せそうだ」と思わせることはできると思う。さすれば、自分のことも「幸せそうだ」と思わせられるかもしれない。なにより、人の固定観念に関する思考の入口にはなれると思う。それっぽく言えば、テーマは「脱・人中心」だからだ。きっと世界の見方も変えられるだろう。もしも、そうなれるのならば、僕が挑戦することにも意味があるのかもしれない。
目標は英国で個展を成功させること。やるべきことは広報活動だ。しっかりと、経費と売上からも逃げずに行こうと思う。大丈夫、初期はお金も掛からないだろう。論文のようなサイトを作って発信を頑張るだけだ。お金の掛かるフェーズに突入しても、諦めないでなんとかしよう。いや、なんとかしたい。僕は写真に執着したいのだ。それが一番に心が踊る。失敗してもいい。さすればきっと、最後のときも笑えると思う。