





十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。専任ではないが、SNSの運用をしたり、イベント出店もこなしている。もちろん、オウンドメディア的なサイトに載せる文書の執筆も。そして、お客さんの窓口対応も業務に入ってきた。最初の頃は強く『広報担当です』とは言えなかったが、今では胸を張って言えている。つまるところ、板についてきたというわけだ。
とはいえ、専任の広報担当ではない。現場仕事も任されている。窓口担当だが、その後のサービスも僕の仕事だ。これが広報活動のアドバンテージになっている。他との連携が必要ないので、圧倒的にやりやすい。当初は、専任でないことがデメリットであり、足枷になると思っていたが、今ではその恩恵にあやかっている。今後は会社にとっての武器にもなるだろう。AIがもてはやされている今の時代なら尚更だ。大切にしていきたいワーク・ワーク・バランスなのである。
一方で、文章力の維持向上にも気をつけている。具体的には、プロの文章を極力読むように。先日も暮らし系の雑誌を購入した。特集はジビエ。興味があるので、文章力うんぬんがなくても買っていただろう。
ジビエは旨い。何度かお裾分けで鹿肉を頂いたことがあるが、新鮮なものは臭みはもちろん、変な癖も無かった。ただただ旨く柔らかい赤身の肉だった。先日もシチューにして頂いた。
鹿肉のブロックを、すこし大きめにカットして塩胡椒。オリーブオイルをひいたフライパンで肉の表面に焦げ目が付くまで焼いた。焼けた鹿肉は鍋に放り込み、フライパンは洗わずに火を入れてバターを溶かした。千切りにしたタマネギを加えて、フライパンに蓋。ときおりかき混ぜてチャツネになるまで炒める。いったん火を止めて薄力粉を投入。軽く炒めてからホールトマトを加えた。どろどろになったら、鹿肉の入っている鍋と合流。マッシュルームと人参も加えた。赤ワイン、バルサミコ酢、乾燥バジル、生ローズマリー、乾燥ローリエ、塩、胡椒、顆粒の昆布だしを加えて煮込む。しばらく煮込む。鍋をシャトルシェフに入れて翌日へ。温めなおして食卓へ。本当においしかった。
食べながら雑誌の記事を思い出していた。ジビエは美味いが、生物の生死に関するスタンスの問いが付きまとう。記事内の猟師さんの方向性は、おおよそ同じ向きだったと思う。命を狩る立場にいるからこそ、その問いには真摯に向き合っていた。誰もが蔑ろにしてはいない。けれども、手垢の付きまくった表現とも違っていた。編集者の腕によるものかもしれないが、いろいろと伝わって来たのである。
もしかしたら、難しい問いだからこそ伝わるのかもしれない。これがもし、誰もが抱えるイージーで普遍的な問いなら、逆に伝わっていなかったと思う。誰もが納得するような解が、すでに世間へ浸透しているからだ。考えなくても答えはある。その言葉をコピペするように発すれば、波風は立たずに問いをやり過ごすことは出来ると思う。けれども、もしもその背後にオリジナルな思考があっても、世間は華麗にスルーするだろう。気付きもしないし、気付いたところで立ち止まることはないと思う。だから伝わらない。浅い考えとはそういうものだと思っている。
人は、人の想いに触れたい生き物だ。一見、答えを欲しているように見えるが、本当に欲しているのは、答えに辿り着くまでの道のりの方。そう考えれば、よく出来た文章の輪郭も見えてくる。どうすればよくなるかは分からないが、そんな文章に憧れている。
この先、僕はその境地まで辿りつくことは出来るのであろうか。僕もいい歳だ。無限の可能性はとっくの昔に失っている。けれども、僕はそこを目指すだろう。答えではなく道のりを大切にしたいからだ。結局、僕も僕の思考に触れていたいというわけだ。