





十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。そこそこのPCスキルは持ち合わせている。家のそれも自作したもの。中判フィルムをスキャンして編集するために、CPUとメモリを特化させるために作った。10年ほど前に組み立てたPCだが、おかげで未だに、スペック不足でストレスが溜まることもないのである。
けれども、時代の流れには逆らえない。OSのサポートが終了する。無料のバージョンアップも用意されているが、マシンの必要条件は満たされていなかった。GPUだ。たしかに、このパーツは適当に選んだもの。そういえば、アドベのAI機能も、これの低スペックが原因で使えなかった。
僕は交換することにした。ハイエンドのものではない。とりあえず、OSバージョンアップの条件を満たせればいい。久しぶりにPCケースを開けたが、問題なくパーツ交換は終わった。ちょっと複雑なファミコンカセットの交換だ。なぜか心も躍る。PCの電源を入れてみれば、いつも通りの起動。すぐさまドライバを入れ直せば、ミッションコンプリートなのである。
だが、問題は起きた。次はCPUのスペック不足でバージョンアップはできないとの表示が出た。これはもう、お手上げだ。CPUを交換するには、おそらくマザーボードを交換する必要があるだろう。そうなれば、ケースはおろか、メモリも交換する必要があるかもしれない。それはもう、新しいPCへの買い替えと言っていいだろう。
僕の使っているPCのOSは、発表当時、最終バージョンと謳われていた。もう、バージョンアップはしないと。けれどもどうだ、今になってバージョンアップを促されている。たしかに無料だ。そのハードルは低い。けれども実際は、PCの買換えを迫られている。発表当時のあの謳い文句は嘘だったのであろうか。利益を得るのはPCのハード業界だ。繋がりを疑いたくもなる。
いや、疑ってはダメだろう。きっと、やむを得ない理由があるはずだ。そもそも、あの頃からだいぶ年月も経っている。仕方のない理由がそこに生まれても不思議ではない。僕はそう信じたい。性善説が生きている世界が僕は好きだ。そのためにも、ある程度は受け手が信じることも必要であろう。
ときを同じくして、今度は僕のスマホがトラブった。こちらもOSのバージョンアップに由来する。電池の消耗が著しい。けれども、無償交換が約束されている。ありがたい。でも、すこし遅れて電池交換を申請してみれば、実店舗の予約は込み合っていた。おかげで、不具合が出てから2ヶ月後の電池交換となった。
電池の交換だから、すぐに終わると思っていた。けれども、実際は違った。まず、確認作業が長い。おそらく、交換作業のビフォーアフターで、他部分が変わりの無いことを証明するためであろう。ボタンやモニターなど、検査項目は多岐にわたる。店員さんの手際はいい。ちょとした曲芸にも見える。きっと、何千回と繰り返している作業なのであろう。
つまり、僕は疑われているのだ。あることないことを理由にしてクレームを入れてくる可能性があると。そう思うと、すこし悲しくなるが、お店としては省くことが出来ない作業なのであろう。そこでは性善説を信じると不利益になると想像できた。
信じたり、疑われたり、正直、ちょっと疲れた。やはり、性善説が成り立つ世界は、理想の域から脱しないのであろう。性悪説で動く者がいなくなってもだ。ここが一番厄介だと思う。『過失』。それがある限り、性善説を妄信することはできない。仮に、全人類が性善説で動いたとしても、そこに僕らが理想とする世界はない。そう考えれば、ある程度の性悪説で動く者に対しても、仕方ないと思ってしまうのである。
どうしたものか。スマホは問題ないが、PCのバージョンはアップできていない。来月でサポートは終わる。ネットに繋ぐことが怖くなるだろう。けれども、調べてみたら救いの手が差し伸べられていた。個人向けに2026年の10月まで、「拡張セキュリティ更新プログラム」が無料で提供されるらしい。
僕はすぐに申請した。めでたく、1年間の猶予を得たわけだ。ありがたい。これで、ゆっくりと新PCへの移行を考えられる。なにより、性善説が成り立たない世界の解決法のひとつを垣間見れた気がした。
現状を嘆くより、零れ落ちた人を支える方法を考える。だが、これもおそらく、今にはじまったことではないのであろう。よくみれば、そのような取り組みは、あちこちで見ることが出来る。きっと、昔からその想いで動いてきた者が多くいるのであろう。そう考えれば、性善説が成り立たない世界も、悪くないのかもしれない。そう思えるのである。