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#240 気兼ねなしに好きと言えることは幸せなこと

十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。体資本の仕事の傍らで取り組んでいる。だが、最近になって、講習会などの予定が入り、あまり現場にすら顔を出せなくなった。講習会の出席も仕事の内だが、拘束されつつも時間を持て余すことも多いので、実際のところ暇。おかげで、スマホで仕事をしたり、noteの連日連投もできたので、充実した数日間だったと思えてたりもする。

先日、久しぶりの現場仕事があったが、それもイレギュラーなものだった。業界関係者を呼んでの施設の見学とディスカッションが目的。僕も、施設の機械を動かすデモンストレーナーとして役割をまっとうしたわけだ。

デモンストレーションは上手くいった。拍手喝采である。途中、見せ場のポイントでも、「うぉー!」と野太い声が施設にこだました。ひとり、熱量のかなり高い人がいて、その人につられるよう、皆のテンションも高めとなった。

名ばかりの広報担当かもしれないが、常々、なにを伝えればいいのかを考えている。今回の現場の空気感は、その答えに限りなく近いと思った。伝え方は分からないが、これを伝えることができれば、気兼ねなしに誰もが「いい!」と思えるだろう。これは重要な気がする。

僕は仮の例えで、「何も知らない少年に野球の魅力を伝えるにはどうしたらいいか?」という問いを、過去に自分へ投げかけていた。失敗例としては、ルールを教えたり、野球教室へ通わせることがあげられる。それは、興味を持った後に行えばいいことだ。興味を深くすることはできるが、興味の窓口にはなり難いであろう。

スタジアムへ行き、プロの試合を見せる。これが正解と思っていたが、最近になって違うと思うようになった。プロの投げる剛速球、ありえないくらいの飛距離を稼ぐバッティング、気持ちいいくらいの正確で素早い連係。ルールは知らなくても、それらの凄さは分かりやすい。そこに野球の魅力はあると思っていた。

けれども、実際はすこし違うと思う。プロのプレーを見るだけなら練習風景の見学でもよさそうだが、きっと、そこで魅力を感じたとしても、野球の良さのすべては伝わっていないと思う。重要なことは、盛り上がっている観客の存在だ。その中に入れば、気兼ねなしに自身も盛り上がれるだろう。

人はコミュニケーションにおいて『共感』を大切にする。けれども、厳密に言えば、共感したいわけではない。共感し合いたいのだ。そのためだったら、自分の価値観はすこし抑えてでも、共感し合うだろう。音楽ライブが好きな人から聞いたことがある。「あの人の音楽はそこまで好きではないけどライブは好き」。なんなら、ミュージシャンが不在のライブでも行きたいらしい。それを聞いたときは意味を理解できなかったが、今となって思えば、『共感し合いたい』という欲求を満たしてくれるのがライブだったのかもしれない。

とはいえ、何をどう伝えればいいのか、それはさっぱり分からない。けれども、こつこつと気兼ねなく共感し合える環境は作りたいと思った。これは、今後の僕の課題となるだろう。

そして、デモンストレーションのあとはディスカッションとなった。あれやこれやと、業界の発展が見込まれる案が生み出されたが、そのうちのひとつにアートの文脈で仕掛ける策が検討された。僕の心がすこしだけ反応した。やってしまえばいい。その想いが生まれた気がする。またひとつ、仕事が楽しくなる種が撒かれた。休み明けが待ち遠しいのである。

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