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タモツの日記
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#239 あの日の決断が分岐点

正直に言うと、離農後は消化試合のような暮らしになると思っていた。あれだけ自由に楽しくさせてもらったのだから、仕方ないと。けれども、蓋を開けてみれば、今までに培ってきたスキルと経験を生かしながら、新しいことにも挑戦している。これはもう、キャリアアップと呼んでもいいのかもしれない。

どうして、こうなったのか。僕は運がよかったと思っている。たしかに、運を自分から手繰り寄せた節は無きにしもあらず。けれども、そこに運がなければ、手繰り寄せることもできなかったはずだ。それも、ひとつやふたつではない。分岐点は何処だったのだろうか。すこしだけ遡って、紐解いてみようと思う。

今の社長から入社を誘われたのは、半年前のこと。そこから更に半年前、僕は社長にアポを取り面会をしていた。その頃の間柄は取引先。僕はお客さんで、社長に営農存続のためのプロジェクトの協力を要請していた。取引先とはいえ、普段は連絡を取り合う間柄ではなかったが、このときはお願いということで、直談判したのである。もちろん、ふたつ返事で了承してもらえたということは言うまでもない。

その後、プロジェクトは頓挫して、その報告から入社の誘いに繋がったというわけだ。つまりは、あのとき、社長にアポを取ったときが分岐点だったと思う。

けれども、そのプロジェクトが無ければ、その分岐点も訪れてはなかっただろう。今に思えば、無茶なプロジェクトだった。それは僕も薄々は感じていた。それでも、成功を信じて全力で実行したのは、応援をしてくれる人がいたからだ。

出会ったきっかけは、とあるオンラインサロンの集会であった。零細な農家を続けていく上で、ひとりでは超えられない壁も、複数人なら超えられるのではないかと。そう思って調べはじめたオンラインサロンであったが、そんなに甘いものではないし、そもそも、それを期待してはいけないと思った。けれども、以前から興味のあったオンラインサロン。いいタイミングだと思って入会してみたのである。結果的に、無茶なプロジェクトを企画し、今の社長と連絡を取るきっかけになったのだから、オンラインサロンの入会が、キャリアアップに繋がった言っても過言ではないだろう。

とはいえ、オンラインサロンの入会も、敷かれたレールの上にはあったと思う。奇跡の選択や偶然の類ではなく、必然だったと。なぜなら、農家時代の僕は、やれることはすべてやるスタンスだったからだ。SNSやsiteを利用したWeb販売から、リアル店舗の直販、イベント出店、商談、営業、クラウドファンディング。すべてをこなしてきた。オンラインサロンの入会のように、ダメと分かっているものでも、経験の積み重ねとして行ったことも少なからずあった。つまり、オンラインサロンの入会も特別なことではなく、営農活動の一部であったというわけだ。

そう考えれば、今回のキャリアアップは、農家時代に得たスキルが下地となっていることを考慮しても、その分岐点は就農を決めたときだったのかもしれない。農家時代のすべての決断と行動が、今のキャリアに繋がっているからだ。今の仕事に就くための準備期間。あとから思えば、そうともとれるほどの時間だったというわけだ。

そうだとすれば、僕はなぜサラリーマンを辞めてまで、農家として生きる道を選んだのだろう。けっして、今の仕事に就くためではないのである。今の仕事で、一番に充実していると思える箇所は、仕事として写真を撮れることだ。それは農家をしていたときと変わらない。以前のサラリーマン時代もそう。仕事として写真は撮れなかったが、短期転勤を利用して、移り住みながら写真を撮っていた。仕事よりも写真を優先していたと思う。そして、年齢的に転勤を繰り返しずらくなったから、転職を選んだ。定住して、ひとつの被写体に向き合ってみたかったからだ。それには農家が一番に適していると。だが、経営は難しかった。だから今の会社に入った節もある。プロではなく、傍らの広報担当という立場での撮影が丁度いい。この流れの中では、今の仕事もキャリアアップではなく、また一歩、理想の写真環境に近づけただけというわけだ。

そう考えると、今回のキャリアアップの下地には、農家時代のスキルアップに加えて、僕の写真に関する履歴が大きく関与していると思える。結局、転職のハードルを下げたのは、写真のために多く行った転勤だった。行く先々で行った課題解決も、経験として農家時代のスキルアップに大きく貢献していると思う。つまりは、写真に興味を持ち、自ら撮りはじめたことも、今のキャリアアップに繋がる、大きな分岐点のひとつだったのかもしれない。

ここまでくれば、もうすこし遡ってみよう。写真に興味を持ちはじめたきっかけは、はじめての地方転勤だった。独りの時間が強烈に長い環境は、僕の暮らし方に合っていたのだろう。楽しくてしょうがなかった。いろいろなことにも挑戦した。写真もその中のひとつ。当時は、心の底からいい仕事に就けたと思っていた。今でもそう思っている。けれども、就職活動はしていない。世代的に超氷河期であったが、選ばなければ苦労もせずに就ける仕事は、ごまんとあったというわけだ。

最終学歴はバイオ系の専門学校。当時、注目されはじめていた『生物工学』に的を絞った学校だった。親を含めた周りからは大学への進学を勧められていたが、僕の判断で専門学校への進学を決めたのである。勧められていた大学は、就職予備校的な意味合いが大きかったからだ。

一方で、僕は勉強が好きだった。とはいえ、成績は比例しないことも多かった。それでも、高校では化学と物理学を選択していたため、生物学を学べなかったことが心残りとなり、バイオ系の専門学校へ行きたい気持ちが強くなったというわけだ。

選択肢は3つあった。ひとつは就職予備校的な大学へ行くこと。もうひとつは、バイオ系の専門学校。そして、残りの選択肢は、生物系の大学へ行くことだった。それは苦労を伴うだろう。すまり、僕は、楽でありつつ、楽しいであろう選択をした。この決定は間違ってはいないと今でも思う。けれども、当時はその先の卒業後を、消化試合のような暮らしになると覚悟していた。だが、実際は様々なことが必然的に起こり、すべてが今のキャリアアップに繋がっている。つまり、17歳だったあの日、バイオ系の専門学校へ行くことを決めた決断が、分岐点だったと思うわけだ。

思えば遠くへ来たものだ。もしかしたら、今の仕事もゴールではなく、まだ見ぬ次のキャリアアップのための布石かもしれない。とはいえ、今は目の前の課題に注視するだけだ。仕事場には僕の好きな被写体も多く待ってくれている。過去はもちろん、未来のことも考えている時間はない。目の前に分岐点があったとしても、今の僕には見えてはいないだろう。今までがそうであったように、これからも僕はそうやって働いていく。

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