plus
67photo
hert
head
タモツの日記
ex
point
hert
232
comment
6
return
7
fly
N
book
#232 僕らなりの働き方

十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。業務は多岐にわたる。現場作業から執筆、撮影、トイレ掃除まで。故に人と話すことも多くなった。僕は基本的に無口で、入社当時は頑張ってそれを隠していたが、それもほぼほぼバレてきた。思えば、20代の頃から何も成長していない。けれども、それでいい。そう思えることだけは成長した証だと思っている。

つい先日も、社外の人とお話をしてきた。今の仕事についてだ。けれども、どうも噛み合わない。どうやら年配の彼は、「現場の仕事は誰もが嫌がる仕事」と認識しているよう。前提として、それを互いの共通認識と思っているようだった。

けれども、僕はそう思っていないかった。たしかに、それはきつい仕事。けれども、きつい仕事=嫌な仕事ではない。それは一緒に仕事をした同僚に教えてもらった。ここにも価値観の多様性はある。誰もが涼しい部屋で行うデスクワークを望んでるわけではない。好きで選んだ仕事が、屋外でのきつい仕事な場合もある。それは強がりでも負け惜しみでもない。一緒に仕事をすれば、その感覚もわかる。ここにも人の固定観念は存在するのであろう。人によっては、話が噛み合わないというわけだ。

だが、話が噛み合わなかった理由は、もうひとつあった。職業がもたらすステータス、いわゆる『社会的地位』というものだが、それを向上させることが万人の願いであり、「誰もが、楽に働けて、給料が多く、社会的地位の高い仕事に就きたいと願っている」と、年配の彼はそう考えていたのかもしれない。たしかに、きつい仕事に就いている者は、社会的地位が低いのかもしれない。給与の量がそれを物語っている。けれども、実際はすこし違うと思う。

社会的地位を気にする人は、若年層に向けて減っていると思う。昭和生まれの人は、社会的地位のために我慢して働いている人も多い印象だが、現在の若者は、あまり気にしていないのかもしれない。社会的地位というものは、他者からの評価だ。それを得たところで、満足感や優越感、安心感等の気持ちを持てるだけであろう。そのための努力量を考えたらコスパも悪いのかもしれない。そもそも、「周りからどう見られるか?」より、「自分がどう在るか?」と考えてる者の方が多い気もする。

これも、価値観の多様性に由来する『個性』の考え方が変わって来たことの影響なのだろう。昭和生まれでも僕だけかもしれないが「個性は大切なもので発揮させるもの」と、そう思ってきた。けれども、今の10代は、個性が大切かどうかは置いといても、「人それぞれに個性があることは当たり前のことだから、他人のそれに対して、良いも悪いもない」と、そう思っているのかもしれない。

そう考えれば、彼ら彼女らから見る僕ら昭和生まれは、ひどく滑稽に映っているのだろう。わざわざ、外見を個性的にして、それをアピールしているのだから。名前だってそう。それにアイデンティティの相当な量を乗せている人もいる。そんなことをしないと壊れてしまう個性なのかと。皆と同じかっこをしても、名前が変わっても、数字で管理されても、自身の個性は埋もれず消えないと、今の若者はそう思っているのかもしれない。

もしも、そうであるならば、すこし羨ましくも思える。僕らよりも、少なからず足枷が少ないのだから。これが世代による文化の進歩なのかもしれない。だが、僕らも文化の進歩の恩恵は受けてきた。確実に、ひとつ前の世代よりも暮らしやすくなっている。そう考えれば、この羨ましい気持ちは欲張りすぎだろう。案外、世代間の平等は守られてるみたいだ。

home
move
fly
zoom
plus
foot