





十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。ここへ移り住んだのは、もう10年くらい前のことで。それ以前は短期転勤族として、各地を転々としていたが、出身は関東だったりする。故に、食文化の違いには慣れているが、未だに“違う“という感覚は消えてはいない。地域へ完全に溶け込めていないということだ。
十勝のスーパーでは『たまり醤油』を見かけない。僕の知っている範囲のことだけかもしれないが、欲しくても手軽に購入はできないのである。やはり、刺身はたまり醤油で頂きたい。だし醤油や生搾り系も美味しいが、たまり醤油が一番しっくりくる。実家がそうであったから、これはもう、育ちの習慣から来ているのだろう。
大和芋も十勝では見当たらない。名産である長芋は多く目にするのだが、自然薯や大和芋系のものは皆無。やはり、とろろご飯にするならば、長芋より大和芋だと僕は思っている。たしかに長芋も美味しい。シャキシャキした歯ごたえは何物にも代えがたい。けれども、すりおろして食すなら、大和芋に軍配が上がるだろう。
大和芋のとろろは作るのもおもしろい。皮はスプーンで剥くといい。柔らかいのでピーラーの必要はなし。けれども、剥きすぎには注意が必要だ。
するには、おろし金を利用する。つるつるとすべって危険だが、すぐにすり終わるので、短期決戦の過集中で乗り切る。その後はすぐに手を洗った方がいい。とても痒くなるからだ。とろろを作る上で、一番の厄介事と思っている。すこしでも残っていれば、そのあとずっと痒い。ひどい場合はシャワーで全身を洗う。とにかく、大和芋の痒さは舐めない方がいいのである。
すり終わったら味付けだ。僕は、白だしと醤油、そして卵を加える。よくかき混ぜれば出来上がりだが、この混ぜる工程が一番おもしろい。尋常じゃない程の”ねばり”を見せてくれる。ひとつにまとまって、それはトルコアイスのようになる。スライムにも似ている。そうなっていくのが楽しくて、ついつい必要以上に混ぜてしまう。
これを炊きたてのごはんにかけて食すのだが、このときだけは麦ごはんにする。そして、おかずは牛タンの塩焼きだ。できるだけ漬物も付けたい。さすれば、仙台名物の牛タン定食になる。バランスがいい。味もそうだが、こってりとさっぱりの塩梅が抜群である。ここまでして、僕の作る”とろろごはん”は完成というわけだ。
他にも北海道の十勝では売っていない食品はある。けれども、僕はそれを無理に取寄せようとはしない。なにか勿体ない気がするからだ。その土地の空気を醸し出しているのは、なにも「〇〇がある」だけではない。「〇〇が無い」も、その空気を醸し出すことに貢献していると思うのである。
たまに、関東で暮らしている母から荷物が届く。中身は季節的なものと、プラスして大和芋だ。たまり醤油も頻度は少なくなるが、たまに入れてくれる。それくらいが丁度いい。何でも揃えてしまったら、ここは都会と変わらなくなる。それも良いとは思うが、何かを失う気もしてしまう。僕の『勿体ない』と思う理由は、そこら辺の気持ちに由来しているのだろう。
十勝の暮らしは楽しい。べつに都会の暮らしを完コピする必要もないのである。必要なものだけを揃えて、あとはこの土地の不自由さを楽しむ。本当に嫌になったら都会へ引っ越せばいい。その選択肢も頭の隅にはあるから、引越しが大好きだった僕でも、十勝に10年も住み続けていられるのだろう。