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#228 ヒグマ対策に思うこと

十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。故に、平日の日中は仕事場で過ごしている。広報担当と言っても、その業務は傍らだ。本業は体を使った作業をしている。とはいえ、青空の下で働くことはゼロではないが稀。たまに森に出向くこともあるが、そのほとんどは屋内での作業となっている。つまり、ヒグマと出会う確率は、普通の人より高いが、山仕事の専門家に比べたら低いのである。

ヒグマは怖い。過去の事件を知れば誰もがそう思うだろう。僕は以前に農家を営んでいたが、業務で山に入ったとき、一度だけその姿を目撃している。ひとりだった。すぐさま逃げた。今に思えば、すこしぱにくってたと思う。遭遇時の対処方法は知っていたが、まったく守れなかった。もしかしたら、別の野生動物だったのかもしれない。たしかに背の高い獣を目撃したが、じっくりと観察する余裕も無かったのである。

「ひとりでは山に入らないように」。そう言われていたが、誰も一緒に入ってくれないから、ひとりが常態化していた。それが5年以上も続いていた。その矢先の遭遇である。僕は怖くなって山にひとりで入れなくなった。ヒグマの怖さにプラスして、自身のパニックにも怖さを覚えたのである。

僕はヒグマの駆除には賛成派だ。死の恐怖におびえながら生きていけるほど強くはない。憎む相手ではないが、その距離感は、もっと遠くであってほしい。とはいえ、かわいそうとも思う。だからだろうか、駆除を正当化する理屈は、常に頭と心に携えている。

この問題はトロッコ問題そのものだ。レールの上にいる者が入れ替わっただけである。見ず知らずの者と、野生のヒグマ。この問いに正解はない。価値観の多様性が発動するからだ。決して世論が片方に振切れることはないだろう。すべての可能性を見据えたリスクヘッジが起こる。生命圏の存続のためだ。僕らの争いの上に生命圏の永続は成り立っている。この問題の発端は、それ以上でも以下でもないのであろう。

故に、僕はヒグマの駆除に反対している者を否定できない。「かわいそう」。充分に納得できる理由だ。それを否定することは、その人の人格を否定することになる。それは倫理的な禁忌だけではない。論理的な思考の安易な間違いでもある。そもそも、駆除をしている現場の者のすべてが、「かわいそう」という感情を捨ててるわけではないだろう。

ならば、解決に一番近い方法は、価値観の多様性の発現を抑えることだと思う。むやみに自身が携えている正義の理屈は表に出さない方がいい。ニュースの在り方もそう。受け手の『知らない権利』にも配慮が必要だと思う。感受性の高い者からしてみれば、あのニュースは言葉の暴力でしかないだろう。そう考えれば、役場に電凸のひとつでもしたくなる気持ちも、少しだが理解できてしまう。

とはいえ、やはり解決は難しい。『知る権利』や『知らせる権利』があるからだ。『無知は悪』との考え方もある。おそらく、解決はしないだろう。ここにも価値観の多様性が発現するからだ。僕ら人には自由がないのかもしれない。ただひとつ、それに対抗するならば、ここら辺の話をメタ認知するしかない。けれどもそれは傍観者となってしまうため、すこし淋しいのである。

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