





十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。つまりはサラリーマン。とはいえ、まだ入社して1ヶ月の身。いろいろと新鮮なことも多い。先日も、はじめての『お盆休み』を経験させてもらった。
前職は農家だ。収穫日は365日。それ以前にもサラリーマンだったことはあるが、そのときもお盆休みは無かった。故に、夏の長期休みは学生以来となったわけだ。
とはいえ、スケジュールは空。どこかへ行きたい気持ちはあったが、それ以上に堕落を楽しみたかった。さすがに最終日は帯広へ買物に出掛けたが、それ以外は引き篭もり。家で動画やゲームに埋もれていた。
やはり、休み明けの仕事が楽しみになっていた。軽い仕事を用意しておいたこともあるが、任されたタスクを進めたい気持ちが強い。責任を伴うが、前のめりで取り組めることが嬉しいのだ。百歩譲っても、仕事場へ向かう足が重くなることはなかったのである。
けれども、どうだ、僕はその日にニュースをみた。街の通りでインタビューに応える人々は、一様に仕事が苦痛と口にする。100%だった。僕は変人なのだろうか。たしかに少数派だとは思うが、ゼロではないだろう。そんなことを考えるうちに、僕もすこし仕事を苦痛と感じたくなった。
メディアは怖い。自身が少数派に思えると疎外感を覚える。多数派に入りたくもなってしまう。どうしてだろう。僕も人の子だ、共感し合いたい気持ちはある。自分の気持ちを殺してもだ。おそらく、このニュースも多くの共感を得ているのだろう。結果的に頑張る気持ちを持てた人も大勢いると思う。そう、このニュースは正義なのだ。それに対して斜めでいることが怖いのである。
視点を変えれば、偏向報道や洗脳報道と見れるのかもしれない。けれども、実際は多くの人々が求めるものを提供したに過ぎないのだと思う。そこに善悪はない。あるのは、悪意の無い親切心と、芯の無い純粋さなのであろう。もちろん、中には悪意に満ちたものもあるのかもしれない。けれども、そのほとんどに復的な意図はないと思う。
そんなものは多い。メディアに限らずだ。もちろん、このnoteだってそう。今日もどこかで、悪意のない親切心が、芯の無い純粋さを惑わせているのだろう。それは誹謗中傷よりも怖い。共感ってなんだろう。共感し合いたい気持ちは何処から来るのか。一体、僕らは何を求めているのだろうか。人にとっての当たり前が分からなくなる。
僕はお盆休み明けの日、早くに着いた仕事場で写真を撮った。毎日は撮れていないが、そこそこのルーティンとして身に付いてきたと思う。そして、この日はいつも以上に自分の趣味に走った写真を撮ってみた。間違いなく仕事には使えないだろう。日の目に出ることはないと思う。けれども、僕はそのことを悲しくも嬉しくもなかった。なにもない。虚無。これからも、そんな気持ちを大切にしていきたいと思う。