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#225 俗と高尚

十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。とはいえ、その業務は掛け持ち。兼業担当と言っていいだろう。普段は作業員として働いている。けれども、最近になって広報的な業務も増えてきた。定期的な文章の執筆も決まった。すでに会社の公式サイトの方で公開されている。もちろん、写真付きの記事。この写真の撮影も仕事のうちだ。僕の写真も、サラリーとは言え、お金に変えることが出来たのである。

記事の評判が良かったのか分からないが、僕の広報業務は拡大しつつある。当初は8:2の比率で広報を行う約束であったが、それも無理になりそうな勢いだ。とはいえ、注文の難易度は上がっていない。「文章を書いてほしい」。おそらく、僕のスキルに合わせてくれているのであろう。故に細かい方向性は自分で決めた。きっと、そこまでは求められていないが、いい結果になってほしいからだ。なにより、方向性が無いと文章も書き難い。会社としても再現性はあったほうがいいだろう。すこしめんどくさいが、方向性を決めておくことはメリットしかないのである。

どちらかと言えば、ソーシャルグッドな会社だ。もちろん、利益は追及しているが、結果を見れば社会課題の解決にも貢献している。つまるところ、文章は書きやすい。限りなく社会正義に近いことを役割にしているからだ。すでに興味を持ってくれている人も多くいるだろう。

けれども、そこに落とし穴があるのかもしれない。課題を解決しにいってるから、ビジネス的にも正解に思えるが、対象が社会であり個人ではないので、広くリーチさせることは難しいだろう。僕だってそうだ。社会の課題より、僕自身の課題を解決してほしい。ソーシャルグッドな会社より、僕に寄り添ってくれる会社を推してしまう。そこに善悪はない。あるのは人としての性質があるだけだ。高尚なものよりも俗っぽさが求められてると思う。

ならば、俗っぽく届ければいいのであろうか。けれども、それは不正解だと思う。そもそも、俗っぽさと高尚は二項対立していない。そう見える面を有しているだけだ。故に、高尚なことを俗っぽく楽しんでいることを伝えればいいのではなかろうか。結局、僕は、僕らが楽しいと思ったことをエッセンスとして足すことにし、共感を得るよりも、共感しあえる楽しさや喜びを届けることを方向性とした。

あとは属人性を気をつけるのみ。一人称は『私たち』。決して『僕』ではない。ここを見誤ると暴走してしまうかもしれないからだ。とはいえ、しっかりと対策は講じてある。チェックは社長にお願いした。それを踏まえて、ゆるく方向性を意識しながら書けばいいだろう。

本当にこんな感じで大丈夫なのだろうか。おそらく、何かはずれているのだろう。経験からそれは感じられている。けれども、今は進むしかない。違和感に気付いたときの未来の自分の策を信じようと思う。むしろ、それが楽しみだ。これも高尚なことを俗っぽく感じることのひとつの方法なのかも知れない。

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