





応援してもらっていた。正直に言うと、気持ち良かったと思う。故にプレッシャーも感じていた。いや、感じないと駄目だと思っていた。快楽に浸ってはいけないと。そのおかげで、エキサイティングな日々になった節はある。その意味でも感謝したい。応援されるということは、そのような側面もあると思う。
業界にいると、たまに奇妙な話に出会う。黒すぎて公にはできない話だ。そこでいつも思うことがあった。なぜにそこまでして事業を続けるのだろうかと。想像はできる。おそらく、応援されることが気持ち良いのであろう。もちろん、それではない理由も多くあるとは思うが、この理由もあると思う。それぐらい応援されるということは心地よいのだ。
応援されるには原理原則があると思う。故にハックは可能だ。ポイントを押さえれば、黒い部分があっても応援される存在にはなれる。ただ、ポイントを押さえるのは難しい。誰にでも出来ることではない。だからか、そこにも応援される気持ちよさはあるのだろう。一目置かれる存在になれるからだ。
動けばいい。頑張ってる姿を見せればいいのだ。分かりやすく、レアな目標があれば尚更だ。それさえ踏まえれば、生物でなくても応援されるだろう。消えそうな炎。かかりの悪いエンジン。ついつい応援してしまう。
とはいえ、応援される原理原則だけを辿ったところで、商売は上手くいかない。商売は商売の原理原則を辿る必要がある。つまりは、利益を求めず、応援されることだけを求めることも可能というわけだ。
世の中に原理は多い。これは矛盾している。原理とは「原(みなもと)の理(ことわり)」だ。本来ならひとつなはずである。複数存在するということは、遡りが足りないのかもしれない。原理だと思っていることでも、実際は中流域の理屈に過ぎないということだ。
仮にそう考えれば、その大元となる原理は物理法則そのものだと思う。そんなことを思う僕は、科学原理主義者なのかもしれない。けれども、そんなに難しい話でもない。すべては安定したがる。ゼロに戻ろうとする。ただそれだけだ。意思や目的もない。ただただ存在しているだけだ。
その視点で眺めれば、あらゆることに理解が及ぶだろう。例外なくだ。課題のゴールでありスタートも見えてくる。「仕方ない」。そう思えることが大切だと思っている。
本当は原理から逆算したいところだが、それは難しい。いつも後になってからの振り返りで腑に落ちる。故に、応援してもらいつつ、商売も上手くいく方法は分からない。どうしたものか。それも仕方ない。結局は動きながら考えるしかないのかなと、そう思っている。