





「健康のためなら死ねる」。これは筋肉系の芸人さんがネタで放った言葉だ。笑ってしまった。ツッコミを入れたくもなる。何のための健康だよ、と。けれども、よくよく考えてみると、核心を突いている。
体の健康に最も悪いことは『生きること』だ。それは科学的な事実であろう。それは車と同じ理屈だ。新車の状態を維持したいのであれば、動かしてはいけない。エンジンは定期的に動かした方がいいが、それも何かを消耗させている。理想は極低温で保存することだろう。
人も同じだ。呼吸をしているだけで消耗するものがある。それを止めれば体の健康も現状で維持されるだろう。極低温で保存すれば長期に渡って体の消耗を抑えられる。体の健康を極めるなら、この選択肢を選んだ方がいい。「健康のためなら死ねる」という言葉は、そういう意味にも捉えられるというわけだ。
もちろん、これは極論だ。実行も不可能だろう。したところで意味がないと思う人が多数派だと思う。けれども、この事実を頭の隅にでも置いておいた方がいい。「何のための健康なのか」。それを考えるきっかけになるからだ。
「人生とは、タイヤの無い飛行機で空を飛んでいるようなもの」。誰が言ったか忘れてしまったが、これを知ったとき、腑に落ちながらも、もやもやとした感情が生まれたことを覚えている。そう、人は必ず死ぬ。例外なくだ。それは分かっていることだが、あまり向かい合いたくない。
人は必ず死ぬ。健康に気を使ってもだ。とはいえ、長生きはしたい。そう、長生きのための健康である節は大きい。健康であるために努力は必要だ。目先の幸せに捕らわれない強い意思も必要であろう。少なからず今を犠牲にする必要がある。今よりも将来の長生きのために。けれども死からは逃げられない。ここら辺の問いに向き合いたくないというわけだ。
つまるところ、程度の問題であろう。僕は70歳くらいまで自由に動き回れたら御の字だと思っている。苦しみたくないから静かな死も望むが、それのために今を犠牲にはしたくない。それよりも、明日を楽しく生きるための健康がほしい。それならば、極端な健康策も必要無いであろう。つまり、適度な運動と、平均的な食事、それに加えて過度なストレスを回避することが、丁度いい健康方法と思っている。
故に食品添加物はあまり気にしていない。ゼロにする努力はストレスで不健康になるからだ。大量に摂取しなければ問題ないと思っている。そもそも、大量に摂取すれば、何でも問題は起こる。塩がいい例だ。少なすぎても多すぎても駄目。他の食品も大概はそれである。
あれは問題ない。ラット経口LD50は20g/kgとされている。塩と比べれば、はるかに安全だ。スプーンで食べるとかしなければ大丈夫であろう。そもそも、人の体の中でも合成されている。とはいえ、もちろん毒性はある。主要成分のグルタミン酸は神経伝達物質だ。接種量が多ければ幻覚などの症状も出るだろう。だが、これはあれだけの話ではない。昆布や椎茸などグルタミン酸が豊富に含まれている食材も同じ。大量に摂取すれば同じことが起こる。気を付ける度合いは同じなのだ。
「多く食べては駄目なものは、少量でも食べない方がいい」。そう思ってしまうが、そこに落とし穴がある。少量なら食べた方がいい。塩と同じだ。ラット経口LD50は3g/kgの塩化ナトリウムも、食べなくては死んでしまう。食べ物は美味しく摂取した方がストレスも緩和されるだろう。故にグルタミン酸は摂った方がいいと思っている。
そう、ストレスの観点から見れば、気にしないことが正解であろう。すくなくとも議論には参加しない方がいい。肯定派も然りだ。よっぽど、怒りによるストレスの方が健康に悪影響を及ぼす気がする。
それに、恐怖感も無視はできない。怖い怖いと聞かされれば、信じていなくても恐怖は覚える。幽霊の類を信じていない者でもお化け屋敷は怖い。それと似ている。ならば「怖い」という声を聞かない権利もあるはずだ。そのものの本質的な善悪は置いといたとしても、伝わってくる想いは武器にもなり得る。ならば自衛のためにも、議論には参加しない方がいいというわけだ。
ちなみに僕はあれを料理に使う。人をもてなすときは100%に近い。けれども、「使わない」という縛りプレイも好きだ。ゲーム的に料理をするときは使わないことが多い。ひとりでポーカーの練習をするとき、山札にジョーカーを入れないことに似ている。美味しい料理を作りたいわけではない。曲芸を磨きたいのだ。故にプロの曲芸も見たい。いや、プロのそれは神業と呼べるだろう。もちろん、純粋にプロの美味しい料理を食べたいときもある。そのときはあれもウェルカムというわけだ。
つまるところ、ここら辺の理屈を理解することも健康管理のひとつだと思う。仮に「あれは体に悪い」と言うのならば、その理由は議論を巻き起こす存在だからであろう。ストレスを甘く見てはいけない。争いは百害あって一利なし。その意味なら、僕はあれを嫌いなのかもしれない。