plus
67photo
hert
head
タモツの日記
ex
point
hert
307
comment
6
return
7
fly
N
book
#307 誰よりも

十勝の田舎町で暮らしている。僕はとある企業の広報担当だ。最近になって、「人も自然の一部」という声をよく耳にするようになった。意味は分かる。人と自然の間に境界線はなく、それゆえに、人が過度な文明の中で生きることは不自然であり、色々と歪みが生じると。そう解釈しているが、実際はどうなんだろう。なんにせよ、そんな考え方が、僕は好きだ。

とはいえ、違和感を覚える場合もある。この考え方は、あくまでも思考であって、事実ではないと思っているからだ。にもかかわらず、ロジカルな前提仮説として語られると、パラドックスすら感じる。「人も自然の一部」という考えが浮かぶということは、そうではないと感じているからではなかろうか。事実は分からないが、境界線を作る考えは生まれている。つまるところ、「人も自然の一部」という考え方が、人と自然の間に境界線を作っているわけだ。僕がパラドックスを感じる部分はそこ。この言葉が、ロジカルな前提仮説になり得ないと思える所以である。

そこへいくと、僕は「すべての人の営みも自然そのもの」と思っている。これは考える上での前提仮説というより、いろいろと考えて辿り着いた結果だ。それゆえに、この考え方を前提にすると、いろいろと辻褄が合うものも多い。「なぜ、人と人は争うのか」。「なぜ、人は人を殺めてはいけないのか」。「なぜ、人は人らしく生きたいのか」。トロッコ問題もそう。いわゆる、答えのない問いも、この考え方で紐解けば、答えも見えてくるし、なにより、解くことが難しかった理由も見えてくる。

結局は、生死による淘汰の結果がそうさせていると思う。人の普遍性もそこから生まれているのだろう。自分たちは特別だと思ってしまうことも、ひどく腑に落ちる。「人も自然の一部」という考えが浮かぶことも自然というわけだ。

そう、なにもかもが自然といえる。人工的で不自然なものなぞ無い。等しく、法則になぞらえている。海や山と同じく、森や動物と同等に、人の造った構造物も自然の産物であり、なにより、同じ美しさを有している。もちろん、「自然」という言葉の定義が違うかもしれないが、僕の思う「自然」とは、そういうもの。そんな自然が僕は大好きだ。

どちらかといえば、インドア派と自認している。ジャンクフードも好きだ。東洋医学よりも西洋医学の方がおもしろい。人の多い場所は苦手だが、それさえなければ都会も好き。環境問題に関心はあるが、自分の中での優先順位は低いと思っている。どちらかといえば、僕は「自然派」な人ではないだろう。けれども、どこかで、誰よりも自然派だと思っている自分もいる。「自然には勝てない」。きっと、この言葉の意味の受け取り方も違っているからだ。境界線の筋すら見えないのである。

home
move
fly
zoom
plus
foot