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タモツの日記
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#54 誰も悪くない

やらかしてしまった。仕事でミスったのである。そもそも僕は完璧ではない。昔からミスはある。けれども今回のミスはいつもと違った。凡ミスの極み。そんなミスを犯してしまったのである。原因は分かる。上の空だった。希望が無いのだ。仕事量が多いのは問題ない。けれども、それが永遠に続くと思うと失望する。意外にも上長である闇リーダーは優しかった。有給の取得を勧めてくれたのだ。

職場に衝撃が走った。あの冷徹な闇リーダーがお休みを勧めるなんて。有給の取得にも理不尽なルールを定める人が、である。幸いにも「えこ贔屓」だと僕にヘイトを向ける人はいなかった。皆は気持ち悪がっただけ。僕も気持ち悪かった。他にも不自然なことはあった。

僕を職場内の役職に推したのも闇リーダーだった。聞いた話では直属の部下である2トップの猛反対で否決されたらしい。一度だけ居室で怒鳴られたこともあった。思わず僕が余計なことを言ってしまったのだ。すぐに謝って事なきを終えたが、そのときも逆に謝られた。

おそらく警戒しているのだと思う。考えてもみれば、僕の経歴もなかなかのものだ。まず第一に研究助手の経歴がある。名前で検索もすれば記載されている論文もヒットする。オーナー側に出向して成果を収めたこともあった。陸の孤島のような事業所を数年にわたって運営してきたことも実績のひとつだろう。なにより年齢がそこそこ。そして落ち着いている。勉強会を開けば明らかに科学的知識が周りより突出していた。ここでのヒエラルキーに当てはめればトップ中のトップである。それは警戒もするだろう。本社からのスパイ疑惑を掛けられても不思議ではなかった。

もしそうだとしたら、闇リーダーの推測は半分あたっていた。そう、この職場には営業部から派遣されたスパイが存在する。僕も最初は気付かなかった。だがあるときスパイの方から僕に接触してきたのだ。「タモツさん、俺スパイなんすよ」。聞けば営業部の部長にお願いされて、1ヶ月だけの約束でここに潜入しているらしい。もうすぐ約束の1ヶ月だが、我慢できず今すぐにでも異動したいと。その相談で僕に接触してきたのだ。

僕は動くことにした。「何かあったら俺に連絡しろ」。それはこの事業所へ来る直前に部長から受け取った伝言だった。部長はこうなることを予測していたのだ。故にまずは連絡した。僕の知っていることを全て話した。そのことは洗濯物チームにも話した。ここから出たい人は営業部の部長と連絡を取ればいいことも伝え、部長の連絡先も教えた。

スパイ君もいろいろと動き出していた。不満のある者達と部長が非公式に会うことになった。この事業所は総務部の空課長が担当しているので、内緒の会となったのだ。そしてスパイ君は脱出していった。

僕は個別で部長と会った。6ヶ月ぶり。駐車している車の中での再会であり密会だった。「元気か」。それに対しての僕の返答は「はめましたね」。部長は笑っていた。僕は半笑いしかできなかった。

「なにか俺に出来ることはあるか」。そこから話し合いは始まった。結果から言うと2トップの1人を異動させてもらうことになった。闇リーダーの異動は難しいらしい。大人の事情だ。空課長を担当から外すことも難しが、努力してもらえることになった。

「おまえは会社を辞めたくはないのか」。部長が僕に尋ねてきた。僕は否定したが、しつこく尋ねてきた。僕は察した。けれどもこれは賭けだ。ここは部長を信じることにした。僕は会社を辞めたいと部長に告げたのである。「よし分かった、異動させるから会社を辞めないでくれ」。

コントの様だった。だが事業所の担当ではない部長が出来ることはこれだった。僕を異動させるには退職希望の言質が必要だったのだ。

異動日は1週間後。異例の早さである。おそらく準備をしておいてくれたのだろう。結局僕もスパイのように使われていた。そう思えばこの事業所での出来事も良い思い出になりそうだ。

僕は途中で気付いていた。ブラック労働の原因が複雑なことを。おそらく闇リーダーを断罪したところで根本的な解決には至らないだろう。もちろん擁護するつもりはないが、構造的な問題であることには違いない。それでも個人を責めるのであれば、それは実力不足があげられる。

明らかに闇リーダーは実力不足だった。彼の武勇伝は努力の自慢だったが、そこに向上心は無かった。現状維持の努力では実力は上がらない。思慮不足。ロジックが浅い。それが実力不足の原因だろう。事業所が上手くまわるわけがない。彼の努力は迷走していたのだ。1日の大半を部下1人の叱責にも使うだろう。PCに向かっている時間は長いが、キーボードのタイピング音で作業内容は分かる。ほとんどがコピペだ。そもそもリーダーの仕事はデスクワークメインではない。それが分からないのだろう。教えてくれる人もいない。けれども本社からのプレッシャーは感じる。努力はしたいが方法がわからない。それが闇リーダーの本音だと推測する。

空課長もそうだ。現状維持の努力はしているが、上どころか解決も目指してはいないように思えた。話をして分かったが、こちらも思慮不足ゆえの実力不足だと思う。努力はしたいが方法が分からないのであろう。

2トップもそう。1人は優秀な兵士だと思う。けれども固定観念が強すぎた。考え方は闇リーダーとそっくり。おそらく自分の頭で考えていないのだろう。それすら気付いてないように思えた。「若い子が私の顔見て逃げていくのなんで?」。彼女はそう言っていた。最初はネタで言ってると思ってたが違ってた。真面目にそう思っているらしい。自身の振舞いを客観的に見ればすぐに分かりそうなものだが、やはり自分の頭で考えていないのだろう。

2トップのもう1人は完全に裸の王様だった。裸王さんは仕事があまりできない。凡ミスを連発するし繰り返す。2トップに君臨できていたのは根拠のない自信と周りへの威圧だろう。僕も彼女を怒らせたことがあった。彼女のミスとは知らずに公にしてしまったのだ。すると次の日から挨拶しても無視される始末だ。

仲の良かった古参の貯金君からも注意を受けた。「裸王さんのミスは隠さないとダメっすよ」。もう笑うしかないのである。彼女に泣かされたものは多い。故に彼女を追放することに罪悪感は無かった。そう、部長に頼んで裸王さんを他事業所へ異動させたのは僕なのである。

そう、誰もが実力不足であった。もちろん僕よりは上なのだが、役割相応ではなかったと思う。故にプライドもすぐに壊れてしまうのだろう。そのようなプライドを守る努力した結果がこの事業所だ。そう思えば仕方ないとも思える。

唯一の解決策はお金だろう。賃金を高くして優秀な人を雇い入れる。さすれば彼ら彼女らも無理な努力からは解放される。おそらく人としても丸くなるだろう。自身のプライドが崩れる心配も少なくなるからだ。

だとすれば諸悪の根源は、少ないお金しか出さないオーナー会社かと言えば、そうではない。そう思えたのは最終日にオーナーとお話ししたからだ。

オーナーは有名な人だった。専門書の著者欄で名前を見たこともある。かなり緊張したがいつもどおり振舞うことを心がけた。僕は基本的には無口だ。ここにきて人とおしゃべりする機会が増えたが、素の自分は変わってはいない。会話では聞き役に徹することが僕の基本スタンス。するといろいろと教えてくれたのである。

そちらの組織に問題があるのは知っている。こちらが解決しようと思えばいつでも出来る。人事配置の変更を要請すればいいだけだ。だけどそれはしない。自分達でなんとかしてもらいたかったからだ。もちろんリソースを割きたくないこともある。だが過剰に面倒をみた組織は使い物にならないことも知っている。それなら現状の方がマシなのかもしれないとも思えた。そこへ現れたタモツ君には感謝している。少なからず動いてくれたことを知っているからだ。

大変恐縮する。僕のやったことと言えば部長に連絡したくらいだ。そもそも根本的には何も解決していない。それに僕は異動もする。「どうもすみませんでした」。オーナーにはそう告げた。

するとオーナーも僕に謝った。お金のことも話してくれた。オーナー会社もそれはそれで大変らしい。それで解決できることも分かっていた。だが難しかったのだ。世界は「仕方ない」で回っている。全てとは言わないが、大部分は構造的な問題を抱えているのだ。誰も悪くはないのである。

最後はお互いの「ありがとうございました」で会話は閉じた。その足で僕は事業所をあとにした。

後から分かったことだが、あのとき僕が部長の連絡先を教えた者は、全員があの事業所から離れた。中には退職を選んだ者もいたが、大半は別の事業所へと移った。もちろん裸王さんも。僕があの事業所から離れて1年も経たないうちにだ。相変わらず闇リーダーは健在だが、ブラック環境は改善されたらしい。何が起きたか僕は知らない。だがどうでもいい。興味も薄い。過去とはそんなものなのだ。

なぜなら僕は忙しいのだ。毎日の料理は楽しくやっている。週末はドライブに出かけなければならない。写真も撮りまくっている。あの事業所から離れた僕は、明日が楽しみで仕方ないのである。

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