





家から徒歩3分の駐車場。小さな4人乗りの5ナンバー。それが僕の通勤車だ。エンジンをかけて住宅地をあとにする。信号を2つ抜ければ田園地帯。遠くまで見渡せる景色の中、車列に混じって突き進む。
そこは学生時代に自転車で通った通学路だ。当時は、片道30分のルーチンワーク。それが今では10分たらず。思えば遠くへ来たものだ。
通勤経路も大きく分ければ3本ある。どこを通っても、かかる時間は変わらない。曲がりくねった山道もあれば、直線の高規格道もある。すこし時間に余裕があれば海を見ながらでも行けてしまう。けれども、毎日同じ道を選択している。
どうでもいいわけじゃない。最短距離を選んでいるわけでもない。そこを通ることが居心地いいのだ。
仕事場に近づくと少しの寂しさも感じる。この空間ともしばしのお別れだ。車のドアを開けたときが出社時間。プライベートな時間もそこで止まる。次に会うのは夕方帰宅時というわけだ。
仕事場から駐車場までは10分くらい。すこし長いのが歯がゆいところ。けれども、車の中はプライベート空間。乗り込むまでが通勤時間。そう考えれば10分がその時間というわけだ。帰宅のためのドライブは、家でのリラックスタイムと変わらないのである。
帰宅経路も変わらない。たまに海を見に行ったりもするが、基本的には往路と同じ経路を復路とする。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」。変わり続ける人や世界に対して、反発するように変わらないことを望んでしまう。それは人の業であり性なのかもしれない。だからこそ心地よいのだ。
変わらないことを望んだっていいではないか。真理を受け入れたうえで反発もしてみる。分かったうえで従ってやる。ささやかな抵抗。ちいさな幸せ。
今日も通勤経路は変わらない。