





お掃除系の会社に就職した。仕事は入社式の前からはじまっていた。入社時研修だ。僕はそこでやらかしてしまったのである。「仕事ができない濃いオタク」。僕のキャラはそう確定した。社会人としての黒歴史をスタート前に作ってしまったのである。
でも大丈夫。この会社は委託業者だ。社員間の情報伝達はそんなに密ではない。僕の黒歴史も職場の人たちは知らないはずだ。僕が暴露しなければいいだけのこと。今度こそは無難な社会人を演じきってみせるつもりだ。
戦いは初日からはじまっていた。現場への引率は総務部の部長。スーツを着ているせいか、できる人のオーラも感じてしまう。中身はおばちゃんなのに、そのオーラだけは本物であった。
さほど混んでない電車に揺られる部長と新人。重たい空気。入社時研修では話もしていない。できなかった。それほど重役の人。「なにか喋らなければ」。そんなプレッシャーに潰されそうだった。
けれども部長に興味はない。聞きたいことは何もない。だが、ひとつだけあった。「鼻の下の大きなほくろは本物ですか」。それは絶対に聞いたらダメだ。でも聞きたい。でもここは我慢だ。無言でもいい。何事もなく現場へ着ければいい。これは、ほくろ部長の仕事だ。それを新人の僕が邪魔をしてはいけないのである。
我慢が重要。我慢こそ仕事のコツ。これが社会人としての初仕事だった。
その後は無事に配属先に到着。ほくろ部長とはここでさよなら。事業所の人数は僕を含めて5人だった。年齢も全員20代。いろいろと観察されたが、よけいなことをしゃべらないと決めていたおかげで「普通の人」の称号をゲット。面と向かって「普通の人だ!」と言われたからそうなんだろう。
期待に応えられなくて申し訳ない。僕は変な人だ。どこまでも無口。数日前には黒歴史もつくった。おそらく今期一番の外れくじ。そう言いたかったが、ここでも我慢。平穏な生活を送るためには、ひとつやふたつの隠し事は必須なのである。
そう思ってたけれども、1ヶ月もすればボロが出る。気が付けば「喋らない奴」の称号もゲットしていた。しかたない。なに喋っていいか分からないのだから。職場の人たちは嫌いではないし、どちらかと言えば良くしてくれるから好きだ。
だがしかしだ、どうしても興味が湧かない。故にお喋りも難しい。ほんとに申し訳ない。それでも仕事はまあまあできてたから問題ないと思っていた。けれども割と深刻な状態にもなっていた。僕に内緒の会議も行われてたみたいだ。
どうしたものか。どうしたら職場の会話に参加できるのか。意を決して聞いてみた。「どうしたらいいですか」と。救いを求めたのは事業所のリーダー格のお姉さん。身長あって眼鏡をかけてる仕事できそうなオーラを纏った人。僕の中では『ノッポの姉さん』だった。
「いまのままでいいんじゃない」。すこし思ってたのと違う返答だった。もっと努力しろ系のこと言われると思ってたから。「結局、仕事はまあまあ出来てるし、本当はもっとお話ししてほしいけど、無理にされても困るから。自分らしく素直に正直に生きていればいいじゃん」と。優しいリーダーだった。
その後も、たまに「最近どう?」と気にかけてくれる。僕も本当は皆とわいわい騒ぎながら仕事したい。けれども無理してもしょうがないから、このままでいく。そう決めたのであった。
嘘はつかずに正直に生きていく。ありがとうノッポの姉さん。それから一年後に彼女の退職を人伝いに聞いた。友人のお店を手伝うらしい。そして同業他社で働く彼女のうわさを聞いたのは、それからさらに半年後のことだった。友人のお店を手伝うというのは嘘だった。騙されたのである。
正直に生きるって何だろう。つまりは他人に正直なのではなく、自分に対して正直に生きることが大切なのかもしれない。少々の他人への嘘もときには必要なのだ。