薪ストーブの調子が悪いなと思っていたら、煤で煙突が詰まっていました。 そのため、その日に追加された作業は煙突掃除。 前回の掃除から時間はそうも経っていないのに、また詰まるなんて。 いつもより掃除棒は動きづらいし。 そんなことを思いながら作業を進めていたら、煙突内で掃除棒の先端部が外れてしまいました。 それくらい大量の煤が詰まっていたと。
そもそも、今季から使い始めた薪ストーブは容量が大きく、煙突サイズも太いものが必要でした。 そのため煙突もひとまわり太いものに交換していたのですが、それでも太さは足りず。 もっと太いものが必要だったみたいです。故に煤で詰まってしまった煙突。煙突内に取り残された掃除棒の先端部でさらに詰まり。 急遽、煙突交換の仕事も追加されたというわけです。
スケジュール的にその日の午前中しか空いてなく、 にもかかわらず、その時間帯になってみれば、いつもより低気温。 煙突周りは積もった雪も多く、作業はしづらそう。 ついてないなと思いながらも、なんとか時間内に交換作業を終わらせることができました。
運が無いのかなと思う一方で、考えてみれば、低温の季節になったからこそ発生した今回の煙突不具合。 はやくに復旧させようと思えば、低気温の中での作業になるのは当たり前。 もちろん雪も積もっていると。運が無いと思っていたけど、そんなことはなく。 夏に煙突の不具合は起こるはずもなく。起こるべき時期に起こっただけのことでした。
それなのに、どうして運のせいにしてしまったのか。 思い返せば、今までも運という言葉を都合よく使ってきた気がします。 そうなってしまった原因を運のせいに。 まあまあ納得のいく答えになってくれるから、考えることもそこで終わりに。
良いことの原因もそう。 本当は小さいことの積み重ねで起きた良いことも、「運がよかったから」との言葉で説明は完結できてしまいます。 これはあまりよくなかったです。 ちゃんと原因を見ておかないと、悪いことは繰り返してしまうし、良いことは繰り返せない。 原因を運のせいにしすぎるのも良くないなと。もっとちゃんと考えないと。
そんなことを思う今日この頃です。