先日、紙の雑誌を買いました。いろいろと12月は忙しいので、予定にも余裕を持たせているのですが、何事も起こらないと、隙間に空いた時間が生まれたりするのも年末。 そこで新たに仕事を探すのも年末だと思うのですが、ついついのんびりしてしまう僕もいます。 実験的な料理に挑戦してみたり、子供とケーキを焼いてみたり、ブログを書くのもそう。その流れで紙の雑誌を買って読んでいたというわけです。
雑誌の特集は珈琲でした。道内で喫茶店や焙煎所を営む方々の物語。 読み終わると珈琲を飲みたくなりました。紹介されていたお店にも行ってみたい。 なにより、豆選びから淹れるところまでの一連の流れを体験してみたくなりました。 なんでも効率よく手に入れることができるこの時代にあえて、です。
そういえば昔、趣味の無い友人が、珈琲の自家焙煎に手を出して夢中になってました。 好きなことを見つけたいと、いろいろ手を出した先にあった自家焙煎。 時間を掛けずに、手間を掛けずに、手軽にはじめたものは長続きしなかったのに、何よりも手間暇の掛かった自家焙煎が、一番楽しめたそう。 滴下式の水だし珈琲器具が欲しいと語る姿が印象的でした。
振り返ってみれば、僕の好きなものも手間か暇の掛かるものが多いです。 マニュアル操作のフィルムカメラ。マニュアル操作の車。 時短テクニックを使わない料理。テキストの読み物もそうかもしれません。 動画や音声で効率良く情報を得られる時代に、あえてテキストの読み物を選びたい。 それで得られるものがあると思うから。それは時間や知識でも、ましてや創作物でもありません。 きっと、効率の良いものに囲まれて暮らしても、満たされず何かに蝕まれると思うのです。
好きでもないものは無駄なく効率の良いものを。その分、好きなものには無駄に手間暇をかけて。 そう思える人はおそらく多数派だと思います。大切なことは周りの声流されないこと。皆の言う「面倒」は、自分の「好き」な可能性が高いから。
きっと、僕の原木栽培もそう。誤解を恐れずに言えば『手間暇を掛ける』のは誰よりも自分が楽しむため。 そして、お客さんがいるからこそ『手間暇を掛ける』ことができている。そこには自覚的でいたいですし、本当に感謝しております。