はじめての仕事場は東京都にある町田市の近くでした。
実家からの電車通勤。その激しい乗車率が歌の詩になるくらいの小田急線に乗って。 けれども、そんな新社会人生活は1年も続かず、11ヶ月で次の職場へ人事異動。 通勤形態は電車とバスのハイブリッドに。 ただ、そんな通勤方法をとっていたのは僕だけ。周りの先輩方々は揃って車通勤。 職場へは電車とバスで行ける人も多かったけれども、不便すぎてそれを選んでいた人はいませんでした。
当時の僕は、運転免許は持ってはいたものの、車を持ちたいという気持ちはありませんでした。 けれども、周りの方々が持っていると、欲しいというよりは、持たないといけない気持ちに。 そのため、割と早く車を持つことになりました。 当時は車の知識も皆無だったので、家の近所の駐車場を見て周って、外見だけで欲しい車種を決定。 中古車ディーラーへ行っては希望の車種を伝えて、その場で即決。たまたまMT車でしたが気にせず。 はれて車通勤族の仲間入りを果たしました。
最初こそエンストに怯える運転が続いたものの、半年も経てば慣れるもので。 『運転の練習』という名目の無意味なドライブも増えて、気が付けば行動範囲も広がり、数年後には本当に欲しいと思えた車へ乗り換え。 その頃には好きになってたMT車。そのことに気付かせてくれたのは最初の車。後になって思えば、良い出会いだったと思うわけです。
同時に、興味のないものにも一度は触れてみた方がいい、との思いも生まれました。 それが好きなものになる可能性があるから。 そのため、そこからは下手の横好きを展開。 あまりハマれなかったものの方が多かったですが、フィルムカメラに出会えたのは大きかったです。
MT車とフィルムカメラ。どちらも将来の先細りが心配なもの。 とりわけ、カウンターカルチャー的に選んでるつもりはありませんし、マイノリティな立場が気持ちいいわけでもありませんから、 できれば盛り上がってユーザー数もV字回復してほしい。 そしてMT車やフィルムカメラも数多く出てほしい。けれども実際は、一部のコアなユーザーが支える至高性の強い趣味的な位置に。 そのため、僕はの中では気軽に楽しめるものではなくなってしまいました。
それくらいならいいのですが、やはり自分の好きなものが世間の主流から外れていくことは悲しく。 どういうわけか、自分を否定されているようで。ただ、そんな想いを救ってくれたのはSNSでした。 そこでは、MT車も、フィルムカメラも、その存在を強く肯定してくれる人と多く出会えました。 MT車の良いところ、フィルムカメラの良いところ、タイムラインにたくさん並んでいると、それだけで癒されます。
けれども、その良さは世間には伝わり難いもの。やはり合理性には敵いません。 僕でさえAT車やデジタルカメラは便利だと思います。 そもそも、MT車やフィルムカメラが好きな理由も、僕の場合は後から付けたようなもの。 シフトチェンジが楽しいとか、アナログ的に画像を記録する機構だったりとか、 長所をあげればそれが自分にとっての好きな理由のように聞こえますが、本当のところは分かりません。
そういえば、最近、紙の本を買う頻度も増えました。 すこし前に電子書籍がはやりはじめた頃は、それで済ませたことも多かったですが、ここ最近に限っては100%紙の本を選んでます。 電子書籍の方が合理的であっても。だからと言って、紙の質感とかは分からないですし、ネットでよく言われている「紙の本の良いところ」にもあまりピンと来ません。 それでも紙の本を選んでしまうのは、自分でも認識していない何かしらの欲求を満たしてくれているのかも知れません。
そう考えれば、MT車もフィルムカメラも、自分では認識していない何かしらの欲求を満たしてくれているのかも知れません。 さすれば、合理的と思えるものを選んでも、実は自分でも認識していない欲求の捌け口を潰すことになっていて、 別のところでその捌け口を作る必要があるとすれば、それは非合理だとも思えます。
だから僕は「広く見れば合理的」と思うことにしました。 けれども、そんなものを多く抱えて暮らしていくことは、さすがに非合理。自分の暮らしの中にひとつかふたつくらい在れば良いと思います。 僕の場合はフィルムカメラとMT車。とはいっても、MT車は軽トラック。フィルムカメラも最近は使えていません。けれども保有はし続けたいから、紙の本は自粛しようと。 でも、それはちょっと悲しく。
そんなことで悩んでいる今日この頃です。